日々のしおり

年頭に際して – 心の大事

診察室の窓

この記事について

 健やかに生きていくためには、健やかな心の状態がとても大切です。
 その身心の健やかさを最も妨げるのは、心に生じる不安や恐れです。
 筆者の自己開示を例にして書きましたので、ご一読くださればと思います。

 お正月休みが、もうすでに遠く過ぎ去った日々のように感じる今日この頃です。

 すっかりご挨拶が遅くなりましたがが、みなさま、新年おめでとうございます。

 昨年の今ごろは、事故による大ケガで自分で着替えることもままならない状態でしたが、まだまだ万全とは言えないまでも、今ではもう随分回復してまして、自分で自分のことが出来るという当たり前のことを、しみじみありがたいと感じております。

 今年の正月は、兄弟みんなで集まり、よ~く笑いました。

 

 昨年のブログ投稿では、東洋医学では重要視されているものの、あまり扱われていない心について触れて参りました。

 当院にお越しになられる方の大抵は、身体に何らかの症状をお持ちになっておられまして、その症状の解消を希望しておられます。

 当然ですよね。笑

 ですが、身体に現れている症状が心の問題であったり環境に起因している場合、その方ご自身と向き合って問題解決を図る必要のある場合が、意外と多いのです。

 近年は、健康意識の高まりの影響もあってか、出来るだけ無添加で自然食を心がけておられる方であるとか、ヨガやストレッチ、軽い運動をされてる方もたくさんいらっしゃいます。

 これはこれで、とても素晴らしいことだと思うのですが、身体を気遣っておられる同程度に、ご自身の心の在り様や生き方に気遣っておられる方は、意外と少ないように感じています。

 過去ブログ 「生きる力の元 - 元気」では、<健やかな身体は、健やかな心から>と書きましたのは、ともすれば、<健やかな心>の面が意外と忘れられていると感じたからです。

 ですので、人間ひとりの世界だけに焦点を当てますと、心 ⇔ 身体、互いに双方向で影響し合っていることをお伝えしたかったのです。

 また過去ブログ「目に触れるものと意識」では、五感を通じて触れる対象の影響を如実に受けることも書いてきました。

 例えば、日常の臨床でよく目にすることなのですが、病院や検診で検査を受けて異常値が出たとします。

 その後再検査の結果、医師から病名を告げられると、心に不安感が起きます。

 すると心が病名に縛られてしまい、不安が不安を呼び起こしてこれまでに無かった症状まで呼び起こしてしまう…

 心が意識が、病名に固定されてしまうと、病を通じて身体が表現している本当の理由、そしてこれまで生きてきた自分の人生から切り離されてしまいます。

 

 もう、こうなってしまいますと、自分の身体であって自分の身体では無くなってしまいます。

 自分の身体に感じていることよりも、機械でしか分からない検査値がどうなっているのかに心が奪われてしまいます。

 ここで勘違いなさらないでくださいね。

 検査は検査で、必要で重要である場合もあろうかと思います。

 実際、筆者も入院治療の過程で画像検査や血液検査等を受けましたし、投薬治療も受けました。

 これはこれで、心の底から非常にありがたいと感じました。

 ただ、筆者がお伝えしたいのは、ご自身の身体はご自身の手の中に置いて頂きたいということです。

 一時、医療に身をゆだねることはあっても、自分の身体なのですから自分の手に戻して来ることが大切だと思うのです。

 それはとりもなおさず、日常生活で、気候や周囲の人から様々な影響を受けつつ、ご自身の身心の揺れ動くさまを自覚しながら生きることでもあると思うのです。

 ここからだと思うのです。

 自分が快適に楽しく生きていくための知恵や方法が見つかるのは。

 そしてこれが、東洋医学で言うところの「養生」だと筆者は考えています。

 ちなみに、筆者は健康診断なるものは受けたことがありません。

 各人それぞれにお考えがあろうかと思いますが、筆者個人の考えというか価値観からのものであることをご了解くださいね

 ご参考にならないかもしれませんが。笑

 理由は様々ありますが大きくは、ふたつです。

 ひとつは、自分の心身が感じているものを、何よりも最も大切に信じたいからです。

 時に体調が悪い時もありますし、夜眠れない日もたまにですがあります。

 食事だって、なにを食べたのかさえ忘れることもあります。

 人は、ここ最近の飲食の内容や自分の心の在り様、家族や今関わっている人との関係など、自分の身心でありながらも、他からの影響で様々に揺れ動きます。

 むしろ、これが当たり前だと思っています。

 筆者にとって、不動心なんてありえません。笑

 ここを観ておけば、筆者は辛いと感じることはあっても、そんなに大きく不安になることはありません。

 もうひとつの理由は、検査を受けて結果が悪いと不安になってしまうからです。

 筆者、自称自認の、小心者です。笑

 ネガティブなものには、鋭く、しかも大きく反応します。苦笑

 よく言われるのですが、健康診断受けなくて、病気の発見が遅れて手遅れになったらどうするのだと。

 手遅れになったその時に、どうするのか考えますと返答してます。笑

 病気になることをどこか気にして生きるより、今日一日どうやって楽しく充実して過ごそうかと考える方が筆者の性分に合ってるように思うからです。

 お釈迦さまも、「生・老・病・死」の四苦は、避けようが無いとおっしゃっておられます。

 その避けようのないことを気にして生きるより、いま感じている自分の命を楽しむことを探りながら生きるのが、筆者は何倍も有意義に思えるのです。(逃避とおっしゃった方もいらっしゃいましたが。笑)

 さて、みなさまは、どのように思われますでしょうか。

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