日々のしおり

鬱と思考

滝修行

 お滝修行は、禊(みそぎ)修行ですが、何を禊ぐのかと言えば、「罪・穢れ」です。

 過去ブログ お滝でなにを清めるのでしょう

 罪とは、自分の本心・本音を包み隠すこと。

 穢れとは、木が枯れること。つまり気枯れですね。

 ですので、修行は本来の自分に戻って元気になるために行うものと、筆者はそのようにとらえています。

 元気というのは、元(もと)の気ですから、元(もと)と言えば宇宙の根源的なエネルギー、神様の気ですね。

 私たちは、神様の分霊(わけみたま)ですから、本来神様の気を宿しているわけです。

 その分霊である自己本霊を、自分を偽ることで曇らせてしまい、結果として病になったり人生に苦しんだりしてしまうのです。

 分かったかのように書いてますが、筆者、穢れの筆頭です。苦笑

 なんせ、臨死体験までするような病になったり、事故で重傷を負ったのですから。笑

 そして今回は、鬱。

 筆者は、自分の身体の感覚を観ていて、浄化作用のひとつと捉えてました。(なが~く感じました)

 お腹の奥から、なにやら得体のしれない気の塊が上がって来て、記憶や感情を伴いながら上に抜けていくのですから。

 浄化作用と分かっていても、「いつ、終わるんやろ…」って、苦しいし不安やし、そら辛いもんです。苦笑

 浮かんできた記憶や感情を意識が補足して、いろいろと考え始めるとなかなか抜け出せなくなります。

 考え始めると、思考のループに陥るからです。

 終わりのない、堂々巡りとなり、疲労してしまってますます鬱の度合いが深まってしまいます。

 抜け出そうとあがけばあがくほど、からめとられてしまうのです。

 こういった状態を、東洋医学では「気が結ぶ」と称します。

 身体にも、はっきりと現れます。

 筆者の場合、途中で苦しんでる自分を冷静に見ている、もうひとりの自分が居ることに気が付きました。

 もうひとりの自分は、この苦しみは必ず終わる時が来ると確信してたのです。

 そして鬱の過程で、自分を偽って生きてきた「気づき」もありました。

 お腹の奥から上がってくる気の塊を感じながら、過去の記憶をまるで映画でも見るようにただ眺める。消そうとするとフタをすることになりますし、そこに葛藤が生じます。ですから、ただ眺める。笑

 時に訪れる感情は、これも押し込めようとせずに、ただ感じ切る。

 むろん、鍼もしてもらいました。(役得です。笑)

 手前味噌ですが、鍼してもらうと本当に楽になりました。

 鍼は、このプロセスを早く終わらせることにつながります。

 もっとも、人生の転換が必要な時に起きてくるので、意識の変容・気づきがとても大切です。

 ある患者さんで、長い間、双極性障害で苦しまれた方も、人生が大きく変わる気づきのあと完治され、今では会社を辞めて自営業に転じておられます。

 いつか事例として記事にしてみたいと思います。

                             つづく

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