この記事について
罪・穢れの意味と、東洋医学的な病因との関係について。前回は、お滝の働きというタイトルで書きました。
お滝では、罪・穢れを祓い・禊ぎます。
当然ですよねっ、これなくして、なにをしにわざわざ、お滝に入るのかわかりませんよね。笑
ではその罪とは、穢れとは、いったい何なのでしょうねぇ。
罪とは、自分の本心を包み隠すことであるといわれています。
白川 静 著 常用字解では、元々は魚を捕る竹の网(あみ)であったものが、罪の字に改められたと記されていますねぇ。
やはり、自分の本心を偽ったり隠したりすると、自分自身への罪となるのですねぇ。
自己本霊=魂がくもってしまうのですね。
本心を包み隠すと穢れる…
そしてその穢れとは、気枯れ(けがれ)だといわれています。
このことについては、知人の藤本宏秋 さんがラジオトーク番組でお話しくださってますので、ご興味のある方は聞いてくださいね。
倭の龍を呼び起せ!【第1105回】 どんと大和改め?!藤本宏秋さん
番組の中でお滝に否定的な見解も紹介されてますが、水は、溶かし込み洗い流す気ですので、個人的な実際の体験では、禊になりますね。
お滝という自然な水の流れの気の中では、ちょっとしたトランス(変性意識)状態になります、筆者の体験では。笑
言いたいことがあるのに言えなかったり断れなかったり、泣きたい・怒りたいのに抑えて我慢すると、自分の中に葛藤・緊張を抱えこんでしまって、しんどくなりますよね。
筆者にも、覚えがあります、というか、大いに覚えがあります。苦笑
こういったことが何度も積み重なったり長期間に及ぶと、本当に気が枯れたようになって溌溂とした元気さが失われてしまいます。
問題はね、ちいさな我慢、ちょっとした我慢、自分でも気が付かないほどの些細なことが、積もり積もって大きな身体の緊張、大きな心の葛藤となって病的な状態に陥ってしまうことなのです。
しかも、これといった原因も見つからない…
女性の生理痛なんて、まさにこれ!です。
むろん、筆者金澤も例外ではありません。
これらのことに関しては、後々に、筆者金澤自身のことをシェアいたしますね。
東洋医学では、病の原因として、感情の抑圧による「七情内鬱(しちじょうないうつ」という概念があります。
病的な状態で、この感情・情志問題が関係していないケースは、ほとんど無いとさえ言えます。
そらそうですよね、生きていることと感情表現(生命現象)は一対のものですから。笑
感情を失うと、顔から表情も消えてしまいますしね。
本来、東洋医学では、「心身一如」
心と身体はひとつであるといってるのですが、現実には、鍼でも漢方でも心の問題を扱っているところって、ほとんどないのではないでしょうか。
心と身体が分離してしまってますね、治療者も患者さんとなる方も。
意識が、症状だけにとらわれてしまってます。
当院で行っています「自分とつながる呼吸瞑想」は、この分離を統合するためのメソットです。
ご興味のある方は、当ブログ内の「自分とつながる呼吸瞑想会」をご覧いただければと思います。
感情の過不足が病因となることに関しては、少し専門的になりますが、「鍼道一の会」で稲垣会長が解説してますので、ご興味のある方は、ご視聴ください。
身体を診せていただくと、おおよそどのような心の状態なのかが観えてきます。
それほど身体は、口ほどにものを言います。笑
つづく
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