日々のしおり

頻回の症例投稿の理由

よもやま話

この記事について

 自損事故を起こしたことをきっかけに、自分自身を再発見した経緯です。

 このところ、症例の投稿頻度が高いのですが、いくつか理由があるのですね。

 直接のきっかけは、今回リニューアルしたホームページ制作会社の担当者の勧めなのです。

 理由は、ホームページへのアクセス数が増えるからということです。(なるほど、なるほど…笑)

 しかも鍼灸で、こんなこともできる、こんな病も治せるって、アピールもできるしねって。

 これまで、折に触れていろんな人から症例を書くことを勧められていたのですが、どうも気が乗らなかったのですね。

 その大きな理由のひとつは、ご来院された方々から寄せられた期待に応えられなかった事例もたくさんあるからです。

 そうなんですよ、良くならなかった方もたくさんいらっしゃるのに、良くなったことだけを公然と出すことに後ろめたいと言いますか、なんか正直でないといいますか、とにかく釈然と自分がしなかったのですね。

 そんな自分と向き合ってますと、これまでこの鍼灸の道を歩んできた原動力は、治らなかった、良くならなかったことからくるネガティブエネルギーだったなと気が付いたのです。

 どう認識すればよかったんやろ。

 何が足りなかったんだろう。

 どうすれば良くなってもらえたのだろう…

 ほぼ毎日、こんなことばっかり考えながら勉強したり臨床を行っていたのですね。

 そして昨年のバイクによる単独自損事故です。

 まあこんなこと言うのもなんですが、あちこちポキポキ骨が折れてまして、左の肺は破れてましてね💦

 事故後のヘルメット見まして、ゾッとしました。よ~命助かったなって。

 病院を退院しましてから、警察に出向いて事情を聴かれたのですが、まったく事故前後の記憶が無いのですね。

 警察の係官は、そういったことはままありますとのことだったのですが、事故現場に行ってみると、なにがどうやって事故を起こしたのか不思議だったんですね。

 すると、この自損事故は「自殺」だったんだなって、フッと思ったのです。

 むろん、意識的にはそんなこと絶対にありませんし、「自殺」なんて考えたこともないですよ。

 でも、「自殺」だなと感じたのですよ。

 これをメンバー専用サイト「一の会コミュニティー広場」で書いたところ、盟友・竹内一志先生が、北野武も同じこと言ってたとコメントくれたのですね。

 

ビートたけしのバイク事故は自殺だった?

↑ リンク貼ってます。 僕も読んでみました。

 自己肯定感・自己評価が欠如してしまって、また生きてることそのものに強い罪悪感を持ってしまうと「自殺」行為に向かってしまうと、筆者は思ってるのですね。

 そのあたりのことを書いたのが、過去ブログです。

 ほ~、罪悪感かいな(笑)

 ↑ これもリンク貼ってますので、ご興味のある方はご覧ください。

 この2月のブログを書き下ろしたあたりから、なんとなく感じていた「無意味感」が次第に大きくなってきまして、何もする気にならなかったのですね、実は。笑

 今もありますよ、この、どよ~んとした「無意味感」は。

 そうこうしてると9月ごろに「症例」書いてくださいって言われて、うまくいった症例がパッとどころか何も思い浮かばなかったのですね。

 うまくいかなかった痛恨の症例は、いくらでも思い出せるのに、です!

 もう、からっぽ、空虚な感覚、究極のネガティブパワー炸裂って感じですよね。笑

 でね、さすがにこれは我ながらおかしい…と感じまして、とりあえず書いてみようと思ったのです。

 自己肯定感につながるかもしれないし、自己肯定感が高まると、この「無意味感」もなくなるかもしれないという期待もあったのですね。

 ちなみに、「自己肯定感」は、社会的成功やお金などのように、自分の外の評価はまったく役に立たないというか、見当違いと言いますか。

 このことも今回、思い知りました。

 「自己肯定感」は、その文字通り「自分が自分に対する肯定感・評価」ですから、自分が行ってきたことに対する自己信頼ともいえるわけです。

 そんなわけで、これまでのカルテを引っ張り出してきて「症例」を書き始めたのですね。

 こうやって、とりあえず書き始めたってのが本音でして、ポジティブな行動のはずなのですが、なんとなくテレビゲームのゲーマーのような感覚なんです。

 別に点数が上がったところで、アクセス数増えて仮に来院者が増えても、なんぼかうれしいかもしれんけど、それがなんやねん。

 って、そんな感覚です。

 なんか、とことん、ひねくれてる?って、どこまでもこの「無意味感」が付きまとうのですわ。

 まっ、不思議なもんでこのように書いてると、遊びが足りんのんとちゃうやろか…って思えてきました。

 遊びを通して自分の心の中に湧き上がってくる喜びみたいな感覚。

 ひょっとして、これが足りんというか、長年置き去りにしてきたからとちゃうやろか?

 SNSが普及してからこの数年、診療後プライベートの時間にも患者対応してましたし、休日もあってないようなもので、仕事とプライベートの境界線は限りなくあいまいでしたし。

 ものは試しです。一遍やってみようかなぁ、日常から完全に離れて。

 ほな、何して遊びましょうかねぇ。笑

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    Comments

  • 河西則明 より:

    お久しぶりです。河西です。覚えておられますでしょうか?自分に対しての無力感、や罪悪感などは自分にもあります。それを払拭するために、開業したようなものです。自分が社会に対してできることは、人の身体を出来るだけ治す。
    結局これだけで、これ以外はなにもかも無能で、周囲に生かせてもらっています。
    歳を重ねると東洋医学に惹かれます。
    また勉強したいと考えています。

    • ichinokai より:

       河西先生、コメントありがとうございます!

       川西先生のこと、もちろんちゃんと覚えておりますよっ。笑

       >自分が社会に対してできることは、人の身体を出来るだけ治す。

       そこは、共感いたします。
       ただ、僕の場合はこれまで気づかずに長く生きてきましたもので、自分で言うのもなんですが、ちょっと重症?(笑)って思ってるのです。

       それにしても、自分でありながら自分の知らないところで何かが起きてる…って、二重でショックでした。

       東洋医学、これは面白く感じてますが、なんか物足りなくも感じてきてるのですよ。

       今、自分自身に起きてることが、はたして東洋医学で光を見出せるのかどうか。

       このあたりのこと(内経医学が取り残してきたもの)を、今手探りで探ってるところです。

       またいつでも「一の会」にお越しください。 (*^-^*)/

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