御所市の葛木御歳神社とご縁が出来てから、加速度的に神道への興味が深まりまして、加えて古代人の生活や感性にも興味と空想が膨らんでいます。
筆者は、学者ではないので、勝手な空想をここで書いても、許されるだろうと思うので、思いっきり妄想事を書いてみたいと思います。
このところの筆者のこだわりは、古代人にとっての鏡の意味です。
先月、葛木御歳神社で行われたセミナー、「かんながらへの道」の参加者の方からお聞きした金山神社、そして東川宮司からお聞きした八咫の鏡のある鏡作神社に行ってきました。
当日、午前10時に到着すると、氏子の方々が正月にむけて、しめ縄を新しく架け替えておられました。
実は、ここの神社の宮司さんにお会いしたかったのですが、あいにくかないませんでした。
と、言うのは、神鏡作りの第一人者とお聞きしてたもので、古代人が鏡を神事に、どのように使っていたのかご意見を聞きたかったのです。
そこで氏子の方に、色々とお聞きすると、宮司さんは朝の一時しかいらっしゃらないとのこと。
またここの神鏡は、世界一の大きなものと、誇らしげに語っておられました。
ここからもう少し奥に、金山媛神社があるので、そこへ行けば同じ大きさの神鏡が見れるとのことで、早速足を運んでみました。
神鏡、なんか日の出のようですねぇ~。
この辺りは、古代の製鉄所、タタラ場があったようです。
渡来人が多く住んでいたのでしょうね。
氏子の方は、今でも堺から職人の方が度々参拝に訪れると話しておられたので、製鉄から農具や武具なども作っていたのかもしれませんね。
古事記だか日本書紀かは記憶が定かではありませんが、近くの大和川の亀の瀬では、度々大規模な地滑り・崩落が起きてるようです。
神武天皇も亀の瀬付近で往く手を阻まれ進路を変えて、龍田大社に立ち寄られたとありますから、きっとこの地にも立ち寄られたのではないかと空想してしまいました。
ちなみに、龍田大社は、ほんと澄んだ気に満ち溢れている感じのところですよ。
ご縁のある方は、立ち寄ってみられたらと思います。
筆者の感覚では、金山彦神社よりも、ここ金山媛神社がゆったりとした気持ちになることができました。
しばらくこの場の気を感じて、次の鏡作神社へと向かいました。
あっ、そうそう、氏子の方が、帰りの信号では警官が隠れてみている所を教えて下さり、地元の者でもついうっかりして捕まってしまうので、くれぐれも気を付けるようにと教えてくださいました。
なんか、氏子の方々の人情に触れることが出来て、あったかい気持ちにもなりました。
つづく
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