しばらく投稿に間が開いてしまいました。
20日、小雨が降る中、神倉神社を後にしまして、熊野速玉神社へと車を向けましてすぐの到着。
今になって、一枚も写真が無いことに気が付きました。(^-^;
ですが、筆者の脳裏にはくっきりとその美しい朱色の神殿は残っています。
例えるなら「うるわしく厳かな、巫女の舞」とでも申しましょうか。
熊野本宮大社が、「清楚に鎮まった、武士(もののふ)」のイメージと対照的です。
筆者の中で、易と陰陽で熊野ツアーで参拝しましたお社がまとまりました。
玉置神社 清楚で澄んだ陰陽未分化(自然神と人霊神)が混然と一体となった存在。
熊野本宮大社(男性的) 熊野速玉神社(女性的)
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那智大社(動の自然神) 神倉神社(静の自然神)
こんなイメージでつながりました。
そして熊野速玉大社から、熊野川に沿って北上。
ちょうど雨が上がって、沸き立つ雲々と山の風景がなんとも幻想的です。
そして再び熊野本宮大社に訪れ、ここで昼食。
その後、明治22年の大洪水で被害を受けてから、現在の場所に移転になる前の大斎原を訪れてみました。
なんともデーンとした大鳥居。
奈良の大神神社の鳥居もでっかいですが、ここは周囲に何もないので特殊な存在感を感じます。
おまつりされている神々にご挨拶をすませ、すぐ近くの熊野川の河川敷に降りてみました。
なんとも言えない悠久の流れを感じました。
ここでは、「おれがおれが」のちっぽけな小我の存在など、痕跡も残さず砕かれ、洗い流されて、せいぜい小さな砂の一粒程度にしかならないのだと。
そう思うと自分にこだわる自分が、とても滑稽に思えてきました。
今回の熊野詣の最後がこの地でであったことは、何か意味があったのかもしれませんね。
今回の熊野の旅で、家族全員がこの地に魅了されてしまいました。
次は、いつ訪れましょうか…(*^。^*)
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