日々のしおり

向き合うことと精神薬

診察室の窓

前回ブログ「精神薬にまつわるお話」 の中で、一旦服用を始めると次第に薬の種類も量も増えてしまうと書きました。

筆者は、西洋医学の医師ではありませんので、臨床現場状況も詳しい薬理も分からないという前提でお読み下さればと思います。

そうです、このブログをご覧頂いてるみなさまと、知識的にはあまり変わりません。

みなさまと筆者の違いは、精神薬を服用しておられる方と仕事として接する機会が多いということでしょうか。

筆者の元を訪れる精神疾患の方のほとんどは、良くなって来られますと薬物からの離脱を希望されます。

薬を服用せず、日常生活を送りたいというのは、いわば当然の願いだと思います。

離脱に成功した方々に共通した、離脱後の状態があります。

それは…

「はっきりする」 ということです。

どういうことかと申しますと、うれしいこと・楽しいことは、よりうれしく・楽しくなるということです。

逆もしかりです。

不快は、よりはっきりと不快に。

嫌なこと、腹立つことはよりはっきりと不快・腹立つようになって来た、とおっしゃいます。

つまり、人間が生きていくための大切な大切な心の感覚が戻ってくるということです。

精神薬で、物事の受け止め方や心の習慣は、変えることは出来ません。

この、当たり前の事実に注目して頂けたらと思います。

ほとんどの方が、目の前に起きている人生の諸問題を、この心の感覚を頼りに解決策や出口を探ります。

もちろん、筆者とて同じです。

腹立って怒るわけにもいかず、かといって腹に納まり切らないことっていっぱいあります。

そんな時、苦しいのは当たり前です。

お酒を飲んで憂さを晴らすこともあります。

でも、やはり問題からは逃げられないものです。

これらの問題を、服薬することによって先送りにすると、麻痺した心にエネルギーは、ドンドン蓄積され、次第に大きく鬱積していきます。

そうするとこれを押さえるために、さらにお薬を増やさなくてはならなくなり、際限の無い悪循環となります。

見方を変えますと、我々の目からすると、鬱積したエネルギーVS精神薬となってしまうのです。

ですから、急に全廃すると、爆発的な症状悪化となって現れるのです。

筆者は、精神薬そのものをとやかく言う立場にありません。

投薬は、医師の専権事項です。

ただ、我々東洋医学の臨床現場からみますと、精神薬はなんら本質的な解決にはならない、とお伝えいたします。

むしろ、害悪の面がより強調されて映ります。

緊急避難的に、精神薬が有効な場合もあるでしょう。

みなさま、この点をよくご理解いただいて、ご自身にとって最も適した選択をなさってください。

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