梅のつぼみも次第に膨らんできていますね。
梅の開花が、待ち遠しく感じる今日この頃です。
さて、またしても社会人成り立ての若い患者さんとの会話ネタです。
一生懸命、社会で生きて行こうとされている。
素晴らしいですよね、若い方のエネルギーって。
これから、将来に向かって生きていこうとする時に、モデルが欲しいんですよね。
どんな自分になりたいかという、モデル。
それに伴う、人生計画や方法。
いいですよね、なんの問題もありません。
ところがです、モデルに成り切れなかったとしたら?
計画を大きく変更せざるを得ない状況が生じたら?
ここに苦悩される方がいらっしゃるのですよ。
そもそも、モデルは基準となる単なる枠のようなものです。
そこに無理して自分を当てはめよう・押し込めようとするから苦しいんですよね。
モデルの枠に収まらない自分がいる。
そして自分がコントロールできない状況変化がある。
ちょっと横道にそれますが、人生においてコントロールできるのは、ホンのわずかな範囲しかないと、筆者は思っています。
人生って、自分の思い通りにならない、コントロール不能が前提だと思うのです。
自分をコントロールできる部分って、自分自身の事くらいじゃないでしょうか。
例えば、勤勉とか努力とかですかね。
あと、いらんことしないで、ジッとしているとか・・・
ちなみに勤勉・努力のコツは、結果を期待しないことかな。
筆者は、期待を大きくすると、期待外れと出た結果に腹立つことが多いです。
しかも結果は、自分の勤勉さ以外の、いろんな関係性が複雑に絡み合って出ますので、必ずしも勤勉・努力=好結果にはつながりませんしね。
これ、かつて学校では勤勉・努力=好結果と教えられたのですがね。
だからと言って、テキトーにしてれば良いという話ではありませんので、念のため。
コントロールに関しては、相手のことのみならず、自分の健康状態や心の喜怒哀楽など、個体としての自分自身さえそうそうコントロールできませんよね。
誰だって病気したくないけど、どんだけ気を付けていても、時に病んでしまうことってあるじゃないですか。
これ、筆者だけですかね。
社会規範に大きく外れて人様に迷惑をかけないのでしたら、その時々の周囲の状況や自分の心境に随って、自由に生きてみるのも良いと思います。
時に勇気、要りますがね。
なんか、話がバラバラになってしまいました。
ちょっと強引に落ちをつけます。
何者かになろうとするよりも、自分はこれから何者になるんだろうって、水が流れるように生きる方が、力が抜けて楽に楽しく生きれるように思うのですが、みなさま、いかがでしょうか。
気ままなお話にお付き合いいただいて、ありがとうございました!
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