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だれしも身体症状は、辛い。一時も早い消失を願います。
が、しかし症状というのは、何も悪い面だけではないのです。
東洋医学では、身体に有害な気を「邪気」と称します。
たとえ身体に有益な食べ物であっても、つかえて停滞すると即「邪気」に変わります。
身体内部に生じた邪気を排泄するのは、身体の「元気」です。
元気とは、現代的感覚でいえば、自然治癒力とも言えます。
症状というのは、「元気」が身体内部の邪気を排泄しようとする働きの現れであり、また元気が弱ることで知らず知らずの間に邪気が身体に深く居座り、一定の限度を超えたときにも現れます。
また、邪気を追い出す力の無かった元気が回復することにより、邪気との間に摩擦が起こり、症状が現れることがあります。
たとえば、お腹が痛くなってお通じが出た後、すっきりする。
自信が無くて言えずにいたことが、意を決してやっと表現できてすっきりとした、などといった場合です。
言いたいことも言えずに我慢する、それは即座に邪気となり、身体に溜め込まれます。そして一定のレベルに達すれば症状となって現れます。
先日、ある患者さんとの会話でのこと。
今までの自分の身体に起きている症状が、自然現象なんだと気づかれたのです。
以後、不安感が無くなり、身体も順調に回復されています。
ご自身の心と行動と身体症状との関係を、体験として理解することが出来たからです。
これはある種、悟りといっても良いでしょう。
自分の身体に起きていることが分からないと、不安が頭をもたげます。
すると、その不安によって身体が反応し、さらに不安感が強くなって身体症状も悪化する・・・このような悪循環に陥ってしまいます。
実際、癌をはじめ難病とされている病の場合、このような傾向は顕著です。
大自然である身体が表現する症状を、単純に薬物で押さえ込んでしまわないでください。
身体が精いっぱい表現している、その口を無理やり手で押さえ込むようなものだからです。
それではあまりにも自分がかわいそうではありませんか。
ご自身のモヤモヤとした心の感覚を切り離して、安易に気分転換したり飲食に走ったり、身体の症状に蓋をしたりと、自分と分離させず、よ~く感じてみて下さい。
そこにしっかりと目を向ければ、やがて必ず自分自身への気づきという大きなギフトがあるのですから。
病気は突然やってくるのではありません。
常日頃の積み重ねの結果として、身体が症状として表現している・・・
ただ、それだけなんです。
それに対して、あなたがどこに目を向け、どのように向かい合うのか。
このような認識を、目を、是非ともお持ちいただきたい。
身体は正直な、そのままの大自然なのですから。
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