先日、久々に身体の不調を訴えて来院された患者さんとの会話から。
この数か月、自分の中で憤りを感じて職場の人間関係の中で、閉じこもっていると。
その方がおっしゃるには、あることがきっかけで怒りの感情が湧きあがり、以来次々と怒りが怒りを呼び起こし、職場での人間関係を維持するために、ひたすら抑えているとのこと。
怒りの感情が惹起してからは、思考が次から次に働いて、頭も心もいっぱいいっぱいになってしまい、人と接する機会も極力避けるようになっているとも。
社会参加はしているけれど、いわゆる閉じこもり状態に近いと、現状の辛さを切実に話してくれました。
うんうん、あるある・・・筆者にも覚えがあります。
ところで、何がつらくって、なにがしんどいのでしょうね。
結論は、自己肯定感を培うことに落ち着きました。
そもそも感情というのは、こころの波のようなものではないでしょうか。
風が吹けば、こころが波立つのは自然ですよね。
そのままにしておけば、また治まる時もあろうものです。
ところがいつまで経っても、波が鎮まるどころか反って大きくなる・・・
なんででしょうか。
考えるからです。
考える内容は、自己の正当性と相手の不当性。
自分の正当性と相手の不当性を考えれば考えるほど、怒りの波はどんどん大きくなるのですよねぇ。
もう、嵐になってしまう・・・
そして、どんどん苦しくなっていくのですよねぇ。
自己の正当性を考えることは、ある意味防衛な訳です。
こころの自己防衛です。
では、なんで守ることが必要なのでしょうね。
続く・・・
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