日々のしおり

霊性と感応

よもやま話

前回ブログ 感応と美意識 で、感応ということを書きました。

 感応する能力って、別の表現をしますと

「霊性」

でもあると思うのです。

このような表現すると、なんかあやしい……って思われるかもしれませんが、

人間は万物の霊長ですからねぇ~、霊長。(笑)

そして万物の……って言うからには、

霊性は、万物に備わっている。

ということになりますよねぇ。

たとえ石ころ、ひとつにもです。

大きいものだと、ご神体にもなってる磐座(いわくら)ってのもありますしねっ。

地球も宇宙にも備わっていて、私たちはその小さな分霊ってことになりますね。

そして万物は霊性を通じて、互いに複雑に繋がっている。

つまりありとあらゆるものと、互いに感応しあっているってことになります。

これ、話しかけたり音楽を聞かせると、植物がよく育つことは実験で確認されてますよね。

ペットだって、言葉ではなく互いの霊性を通じて感応し合うからこそ、互いに大事な存在になってるのですよね。

ましてや、人間同士なら、なおさらです。

男女が互いに感応し合って、引き合うってのもそうですよね。

(戦争もしますけど… 笑)

以前のブログに、「身体は、心と魂と自然界の気の交差点のようなもの」と書きました。意識が作る身体の痛み

様々なものに感応して「美」を感じるということは、すでに自分に備わっているものに「美」を感じていることになりますねぇ。

そして「美」に触れて魂が感動すると、心が洗われるだけでなく、その影響は身体にも、また周囲にも現れます。

感動的な物語は、そこに人間の「美」を感じるからなのだろうと、筆者は考えてます。

そして感動=こころが揺れ動きますとね、

 清くて軽いものは上に登り

 濁って重いものは下に降りる

 大自然の法則です。

袋かビンに砂と貝殻を入れて、トントンと叩いて振動させると、軽い砂は上に浮き上がり、重い貝殻は下に沈みますよね。こんな感じのことです。

するとエゴに隠れてた愛もまた、意識に上ってくると思うのです。

少なくとも、表面の浅い意識と、深い魂との間のゴミのような余分なものは剥がれ落ちるだろうと思うのです。

それが、感動した後に訪れる「心が洗われた」ような感覚だと思うのです。

さあ筆者、ケガが全快しましたら、さしづめ山に登りましょうかね。

肌に風を感じて山の匂いのする空気を吸って、

耳に小鳥のさえずりや小川のせせらぎ、木の葉のすれ合う音を聞き、

目に木々や草花を映して感応しまくりたいですねぇ。

まっ、自分の感性しだいでは、日常のなにげないものにも「美」を感じて心を洗えるかもしれないですねぇ。(*^-^*)

画像は日の出、直前のもの。

ここ泉北の地から、東方、金剛山を臨んで。蔵出し画像です。

夜明け前は、自然界の気がまだひそやかなのですが、日の出と共に地上界の気は一気に動き始めます。

感動的ですなぁ……

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