入院してから、ちょうど今日で2週間。
不思議なのは、今もって事故の前後を全く覚えてない、思い出せないんですよねぇ。
退院後、警察の事情聴取を受けるのですが、何を話そうか…ってくらい何も覚えてないのです。
そう思いながらぼんやりしてると、瞬間的に魂を抜いてくれたんだろうなって思いがフト浮かんだんですよね。
すると感情を伴わずに勝手に涙がじわ~っと、もう、そしてこぼれるように勝手に出てくるんですよ。
それで改めて「生きてるんだなぁ~」って実感。
そのあとからね、ただ生きてるってことだけで、これはもう大変な喜びなんだな~と、まあこれまた自分が自分に感動というかなんというか…
20数年前は、病で命の淵をさまよい、臨死体験してから自分の意識が大きく変わりました。
何が大きく変わったのかと申しますと、うまく表現できないのですが自らに備わっている「霊性」への気づきかなぁ。
今回、もし肉体の損傷が著しく、抜いてもらった魂の帰る器が無ければ、死ということになってたのでしょうね。
自分が死んだことに気づかない魂、結構おられると聞き及んでいましたが、えらい納得しました、実感持って。
さてさて、今回も命がけの事が起きた(起こした?)わけですが、これをきっかけに自分の意識がどのように変容するのかが、自分でたのしみです。
いくつかは、はっきりしてることがあります。
それは、「生かされてる」とかいろいろ言われますけど、現実に関わってる人たちも含めて、目には見えない神仏・精霊とも常に一緒に生きてるという事。
それと「悟り」ってことについてかなぁ。霊的成長でもいいんですけど。
筆者個人的には、苦行も難経も必要ない。(必要な方もいらっしゃると思いますが)
なにものかになろうとしなくても良い、あるがままで。
これはね、もっと鍼が上手になっていろんな病が治せるようになりたいとか、ああなりたい・こうなりたいって願望を一旦すべて手放す。
あんなんしたいとか、こんなこともしたいとかってことも全部ね。
悟りも願望も、求めるものじゃなくって、生きる姿に応じて「訪れる」もの。
こんな感じかなぁ。
ただね、「命拾い」っていう言葉がありますが、ほんまに文字通り「拾った命」だと思ってますので、さあこの「命」、どない使ったろかいなとは思います。
そう思うと、なんやらワクワクしてくるのですよ~♪
動かすと肩、まだ思いっきり痛いのにね。
あんまり自信ないけど、そんな感じがするのでそれに従って生きてみようかなって漠然と思ってます。
そんなこんなで、昨日退院の予告がありまして、本日の検査で何もなければ一旦は13日退院です。
経過は、全く問題なく順調で回復もとても早いとの主治医からのお言葉です。
身体的には、肘から先は、まったく問題ありません。
ただ、左肩が動きませんので、もうしばらく復帰までには時間がかかりそうです。
今、この生きてる瞬間瞬間の時間、自分と一緒に居ることに致します。
痛みがあると、自分から離れることが出来ませんよね。(*^。^*)
それではみなさま、今日も一日お元気で。
また書きます。
いつもありがとうございます!!
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