かつて統合失調症で毎週通院されていた40代の既婚男性のお話です。この方は精神薬をすべて止め、数年前に長年勤めていた会社を辞めて起業されて以来、月に1回程度の頻度でメンテナンスのために当院にお越しくださっています。
ある日、「いつになく腰が痛くてたまらない」とのご相談がありました。多方面から診察したところ、肩と胸に「憤りの気」が滞り、相対的に下半身の気が不足したことによる腰痛と判断しました。
東洋医学では、感情の鬱積が原因で起こる病を「七情の病」「七情内鬱」と呼びます。喜怒哀楽など、さまざまな感情(気)を無意識に抑え込むことで発病する方は、実は少なくありません。
治療はシンプルです。1本の鍼で滞った「憤りの気」を解放するように導けばよいのです。滞りが解けると、気は下半身に降りて全身をめぐるようになり、腰痛だけでなく他の諸症状も消えます。
大切なのは、今回の経験から何を学び、再発を防ぐかです。
この方は、東北で地域密着型の会社を立ち上げておられます。腰痛が発症する前に何か憤るような出来事がなかったかと尋ねたところ、「そういえば、数日前の株主総会を終えた後に腰痛が始まった」とお話しくださいました。
株主総会では、造反するグループの存在が明らかになった一方で、味方の存在もはっきりしたそうです。彼は、過疎地域を活性化し、公共性や共済を目標に掲げてきたのに、株主の一部が私利私欲やメンツのために造反したことに強い憤りを感じたそうです。
しかし、総会では感情を一切表に出さず、無事に終えたものの、株主の分裂と事業の遅延は避けられない状況だとのこと。
株主総会後、大阪に戻り、ご夫婦で受診された際、彼は「どうにも収まらない憤り」を吐露されました。その様子から、抑え込んだ感情が心身に影響を及ぼしていることがうかがえました。
そこで私は、東洋思想の観点から、自然界と人間界、そして人体の生理機能が同じ原理で動いていることをお話ししました。
約2000年前の書物『淮南子(えなんじ)』には、天地開闢の様子が記されています。
天地がまだ混沌としていた頃、軽く清いものは上に昇って天となり、重く濁ったものは下に降りて大地となったとされています。
これを人体に当てはめると、食事を摂ると清濁が入り混じったものが胃に納まり、必要な「清(精)」は上半身に運ばれ、「濁」は下に排出されます。これは自分の意思とは関係なく、自然の働きとして行われます。
人間関係も同様です。人が集まると、清濁が混在しますが、社会の流れの中で自然と分かれていくものです。人はそれぞれ異なる意見や感性を持っているので、時間と共に自然とコミュニティを形成します。
清と濁は、どちらが良いとか悪いとかではなく、どちらも必要であり、流れの中で必然的に生じるもの。その必然的なことに憤っても、自分自身を苦しめるだけではないでしょうか。雨が降ることに憤るようなものかもしれません。
このようなお話をしたところ、奥様が「そうなのですよ! 大株主である一番大切な銀行さんが、社長を信頼し、彼の両脇に席を取って盤石の態勢をアピールしてくれたんです」とおっしゃいました。
会社の体制が分裂して小さくなったとしても、天道にかなっていれば、また人が集まってくるでしょう。そして、将来また同じようなことが起きるかもしれません。私自身も、似たような経験を何度もしてきました。
さて、この方が次回ご来院される際、どのような状態でおられるでしょうか。楽しみにしています。

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