先週、来院された患者さんとの会話をご紹介します。
この方は、深い信仰心をお持ちの方でした。主な症状は手指のこわばりと痛み、そして痛む手指の反対側の肩の痛みです。
お身体を診させていただくと、感情の鬱積(うっせき:ストレスや感情が溜まること)が感じられました。鍼治療で気を通すと症状は緩和しましたが、根本的な原因が解消されないと再発する可能性があると考え、治療が終わってから「何かあったのですか?」とお尋ねしました。
すると、最近、職場の上司の失敗をフォローし続ける状況が続いているとのこと。「腹を立ててはいけない」「怒りを感じてはいけない」と自分に言い聞かせ、笑顔で対応してきたそうです。
その背景には、「いつも感謝しなければならない」「執着や欲を手放すべき」という教えが、この方の心に強く根付いているようでした。
そこで私が、「出家して世間との関係を断った方々に比べ、俗世(娑婆世界)で生きる私たちのほうが、実は困難が多いですよね」と話を振ってみました。
「出家された方は、働かずともお布施で生活できるので、厳しい修行に専念して悟りを目指せます。一方、私たちは日々働いて生活しなければなりません。出家された方の教えをそのまま実践するのは、なかなか難しいですよ」と。
するとその方は、「そうですよね!」と目を輝かせ、「私、お釈迦さまって、実は無責任な男だと思うんです!」と話し始めました。「妻や子を置いて一人で出家して、挙句の果てに息子まで出家させた。もし世の中の全員が出家したら、誰がお布施をして出家者を支えるんですか!?」と、溜まっていた怒りが一気に噴き出しました。
東洋医学では、「諸気膹鬱(しょきふんうつ)」という考え方があります。感情が溜まりすぎると、体の「気」の流れが滞り、さまざまな症状が現れるのです。この方の場合、上司への不満が抑え込まれていたのが、こうした形で解放されたことで、気が流れ、症状だけでなく心の鬱積も軽減しました。
この方は、職場の状況に対して「きれいごと」ではなく、自分が本当に感じていた感情に初めて向き合うことができたのです。自分の本当の気持ちに気づけた今、これからどのように人生を歩まれるのか、ご自身で決めていくことになります。
私の役割は、ここまでです。

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