日々のしおり

【脈診は表情を見るようなもんや】

酒井 つぐみ

治療院で脈診を教えていただいてやり始めたころ、よく「脈は表情やで」と教わった。
私の学ぶ脈診は、人差し指、中指、薬指の3本で両手首にある患者さんの脈を診る。

なんだか硬い脈に触れると、イライラすることがあったり、心体が緊張しているのかなあと思ったり。
沈んで深いところで力強く打っている脈に触れると、なんだかのびのびしきれない、グーっと感情を抑えていることがあるのかなあと思ったり。
ガンガンつきあがるような脈に打っている脈に触れると、痛みが相当キツいのかなあ、と思ったり。

なにが、とは言えないが、ちゃんと流れているのに3本の指で触れる脈がなんだか繋がっていないなあと感じることも、見た目は元気そうなのに、脈はとってもか弱かったり、その逆もあったりする。

脈だけでなく、背中やお腹も、同じような視点で診るようにしている。
そうすると、背中やお腹も、本人は気付いていないことも含めて、本当の顔を見せてくれるように思う。
自由そうに見える人が意外と緊張していることを教えてくれたり、背中がその人の真面目さを表現してくれることもある。
その人の生き方が身体に現れていると感じる。

この時はこのツボ!というものではなく、具体的な身体のエネルギーの流れをみるための触診であり、
いろんな視点から得た情報を照らし合わせてざっくりとした身体像をつかみたいだけなのだが、
いつも思うのは、どんな表情をしてるのかな~?という視点で身体を診たり、触れたりすると、『身体を聴いている』ような感じがする。
まるで身体と対話しているように思う。

身体への触れ方も、「力を抜いて優しくさするように触れるんやで」と教わった。人によっては、優しく触れているだけで、背中やお腹の様子がどんどん変わっていく。
確認程度なら良いが、患者さんに不快感を与えたり、急に押さえて痛いと思われたりすると、「患者さんの身体は、ほんまの顔は見せてくれんで」と。

この考え方は古武術にも通じていて、ほおなるほど~!と思った。
誰しも、不快に思う相手に自分の素は出したくないし、こちらが力んでいると相手にも力が入る。
探られていると思うと、なんだか嫌な感じがする。
対身体とのコミュニケーションは、対人とのコミュニケーションと全く同じだなあ、と実感する今日この頃。

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