ブログ「鍼道 一の会」

術者の在り方 ― 治療は人が行う【6】

この記事について

鍼道 一の会 基礎医学講座でお話しした内容に、加筆・訂正したものです。

 鍼灸師として学び始めた頃、私は技術こそがすべてだと思っていました。

 どの経穴を使うのか。
 どんな理論で診立てるのか。どんな手技を身につけるのか。それさえ身につければ、患者さんは良くなる。そう信じていました。

 しかし臨床を重ねるにつれて、そう単純ではないことが分かってきました。同じ技術を使っても結果が違う。同じ治療をしても反応が違う。

 そこには、技術だけでは説明できない何かがあるのです。

治療しているのは鍼ではない

 もちろん鍼は大切です。理論も大切です。技術も必要です。

 しかし実際に患者さんと向き合っていると、治療しているのは鍼だけではないということが見えてきます。

 患者さんは、心を持った一人の人間です。

 人知れず抱えている思いや感情があります。
 不安や恐れがあります。
 希望を失いかけている方もいれば、それでも懸命に前を向こうとしている方もおられます。

 そして私たち術者も、患者さんと同じ一人の人間です。

 治療とは、人と人との気の交流の中で起こる営みなのです。

 互いの気が通い合うことで、滞っていた気が少しずつ流れ始め、病は癒されていく。
 これは治療に限ったことではありません。

 人と人との関係そのものが、このような気の交流の上に成り立っているのではないでしょうか。

信頼が生まれた時に起こること

 長年臨床をしていると、患者さんとの信頼関係が十分に築けた時、不思議なほど治療がスムーズに進むことがあります。おそらく、この記事をお読みくださってる臨床家の中には、同じ体験をしておられる先生方も多いと思います。

 患者さんの話を聞く。
 脈を診る。
 身体に触れる。
 それだけで気の流れががらりと変わり、身体の緊張がほどけていく方がおられます。時には、「もう治療は必要ないのではないか」と感じるほど変化することさえあります。

 そんな中で、自然に

「ここだな」

という感覚が湧いてきます。

 言葉では説明しにくいのですが、術者の感覚と患者さんの身体が、一つにつながるような瞬間があります。
 もちろん、それは理論を軽視してよいという意味ではありません。
 理論を学び、経験を積み重ね、その積み重ねがあるからこそ、その感覚は働くのです。

 私は、本当に良い治療とは、人と人との信頼の上に成り立つものだと考えています。

使えるものは何でも使う

 私はよく、「使えるものは何でも使え」と言います。
 患者さんが楽になるのであれば、言葉も使う。沈黙も使う。励ましも使う。時にはただ話を聞くだけのこともあります。
 鍼をすることだけが治療ではありません。


 いまこの患者さんにもっとも必要で大切なことを見定める。
 その患者さんにとって、今もっとも必要なものは何か。
 そこを見極めることが大切です。

 病の背景には、

家族との別れ、
失恋、
失業、
離婚、
人生の挫折など、そんなことも病の背景にはある場合があるのです。

 この方が再び希望の光を取り戻し、元気になっていただく。そのために今、自分にできることは何なのだろう。

 時には励まし、
 時には厳しい言葉をかけ、
 信頼関係が構築されている上で、必要であれば、温かく抱擁することもあります。

 患者さんのためになることで、自分にできることであれば、できる限りのことをする。

 その姿勢と思いが、私は大切だと思っています。

術者の心は患者に伝わる

 患者さんは、術者側が思っている以上に術者を見ています。
 術者の言動やしぐさだけでなく、それらを超えた気を敏感に感じ取ります。

 こちらが焦っていると伝わります。
 不安を抱えていると伝わります。
 逆に、落ち着いていれば安心が伝わります。
 確信をもって鍼を下せば、その安心感も伝わります。

 抜鍼したあとも、術者自身が「ここまで整った」と納得したことを確認する。その安心感もまた患者さんへ伝わります。
 言葉を超えて伝わるものがあります。

 だからこそ、術者自身の心を整えることが大切なのです。

 自分の心が乱れている時、患者さんに気を集中させることは難しい。
 自分が苦しさに飲み込まれている時、患者さんの苦しみに寄り添うことは難しい。

 まず自分を整える。それが術者としての修練になります。

ムカッとした時が学びの時

 若い頃の私は、ずいぶん弟子にも厳しい人間でした。

 自分がストイックに努力し、勉強している。そう思えば思うほど、努力していないように見える人に腹を立てていました。
 しかし今振り返ると、それは相手の問題ではありませんでした。自分自身の意識に治療家としてやっていけるだろうか。そんな自分自身に不安があったからこそ、自分をストイックに、厳しく律し続けていたのです。
 そして、自分が苦しみながら積み重ねてきた努力を、いつしか他人にも求めるようになっていました。

 「こうあるべき」
という思い込みで、人に対しても自分自身をも縛っていたのです。

 人に腹が立つ時。人を批判したくなる時。実はそこに自分自身の隠れた不安と恐れがあります。

 だからムカッとした時こそ、自分を振り返り、自分で自分を縛っていた観念に気づいて手放すチャンスなのです。

治療家はまず人間である

 私たちは鍼灸師である前に、一人の人間です。

 喜ぶこともあります。
 落ち込むこともあります。
 病気をすることもあります。
 失敗することもあります。

 だからこそ、患者さんの痛みや苦しみを理解し、その苦しみに寄り添うことができます。

失恋。
気分の落ち込み。
経済的な苦しみ。
人生の挫折。

 もし自分が何の苦労も経験していなければ、人の痛みを本当の意味で理解することは難しいでしょう。
 人生で経験した喜びも悲しみ、人生の浮き沈みそのものが治療家としての糧になっていくのです。

 

術者の在り方が治療になる

 東洋医学では、何をするか以上に、どう在るかが大切です。

 どんな理論を知っているか。
 どんな技術を持っているか。
もちろん、それも重要です。

 しかし最後に患者さんへ伝わるのは、どんな心で向き合っているのか。

 どんな眼差しで人を見ているのか。
 その在り方です。

術者の在り方そのものが治療になる。

 私は四十年近い臨床を通して、そのことを何度も実感してきました。

 だから私は、技術を磨くのと同じくらい、自分という人間を育てることを大切にしています。東洋医学とは、技術と人間性、その両方を育て続ける医学なのだと思うのです。

葛木神社 裏参道から望む大和葛城山

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

▲