この記事について
鍼道 一の会 基礎医学講座でお話しした内容に、加筆・訂正したものです。鍼灸師として学び始めた頃、私は技術こそがすべてだと思っていました。
どの経穴を使うのか。
どんな理論で診立てるのか。どんな手技を身につけるのか。それさえ身につければ、患者さんは良くなる。そう信じていました。
しかし臨床を重ねるにつれて、そう単純ではないことが分かってきました。同じ技術を使っても結果が違う。同じ治療をしても反応が違う。
そこには、技術だけでは説明できない何かがあるのです。
治療しているのは鍼ではない
もちろん鍼は大切です。理論も大切です。技術も必要です。
しかし実際に患者さんと向き合っていると、治療しているのは鍼だけではないということが見えてきます。
患者さんは、心を持った一人の人間です。
人知れず抱えている思いや感情があります。
不安や恐れがあります。
希望を失いかけている方もいれば、それでも懸命に前を向こうとしている方もおられます。
そして私たち術者も、患者さんと同じ一人の人間です。
治療とは、人と人との気の交流の中で起こる営みなのです。
互いの気が通い合うことで、滞っていた気が少しずつ流れ始め、病は癒されていく。
これは治療に限ったことではありません。
人と人との関係そのものが、このような気の交流の上に成り立っているのではないでしょうか。
信頼が生まれた時に起こること
長年臨床をしていると、患者さんとの信頼関係が十分に築けた時、不思議なほど治療がスムーズに進むことがあります。おそらく、この記事をお読みくださってる臨床家の中には、同じ体験をしておられる先生方も多いと思います。
患者さんの話を聞く。
脈を診る。
身体に触れる。
それだけで気の流れががらりと変わり、身体の緊張がほどけていく方がおられます。時には、「もう治療は必要ないのではないか」と感じるほど変化することさえあります。
そんな中で、自然に
「ここだな」
という感覚が湧いてきます。
言葉では説明しにくいのですが、術者の感覚と患者さんの身体が、一つにつながるような瞬間があります。
もちろん、それは理論を軽視してよいという意味ではありません。
理論を学び、経験を積み重ね、その積み重ねがあるからこそ、その感覚は働くのです。
私は、本当に良い治療とは、人と人との信頼の上に成り立つものだと考えています。
使えるものは何でも使う
私はよく、「使えるものは何でも使え」と言います。
患者さんが楽になるのであれば、言葉も使う。沈黙も使う。励ましも使う。時にはただ話を聞くだけのこともあります。
鍼をすることだけが治療ではありません。
いまこの患者さんにもっとも必要で大切なことを見定める。
その患者さんにとって、今もっとも必要なものは何か。
そこを見極めることが大切です。
病の背景には、
家族との別れ、
失恋、
失業、
離婚、
人生の挫折など、そんなことも病の背景にはある場合があるのです。
この方が再び希望の光を取り戻し、元気になっていただく。そのために今、自分にできることは何なのだろう。
時には励まし、
時には厳しい言葉をかけ、
信頼関係が構築されている上で、必要であれば、温かく抱擁することもあります。
患者さんのためになることで、自分にできることであれば、できる限りのことをする。
その姿勢と思いが、私は大切だと思っています。
術者の心は患者に伝わる
患者さんは、術者側が思っている以上に術者を見ています。
術者の言動やしぐさだけでなく、それらを超えた気を敏感に感じ取ります。
こちらが焦っていると伝わります。
不安を抱えていると伝わります。
逆に、落ち着いていれば安心が伝わります。
確信をもって鍼を下せば、その安心感も伝わります。
抜鍼したあとも、術者自身が「ここまで整った」と納得したことを確認する。その安心感もまた患者さんへ伝わります。
言葉を超えて伝わるものがあります。
だからこそ、術者自身の心を整えることが大切なのです。
自分の心が乱れている時、患者さんに気を集中させることは難しい。
自分が苦しさに飲み込まれている時、患者さんの苦しみに寄り添うことは難しい。
まず自分を整える。それが術者としての修練になります。
ムカッとした時が学びの時
若い頃の私は、ずいぶん弟子にも厳しい人間でした。
自分がストイックに努力し、勉強している。そう思えば思うほど、努力していないように見える人に腹を立てていました。
しかし今振り返ると、それは相手の問題ではありませんでした。自分自身の意識に治療家としてやっていけるだろうか。そんな自分自身に不安があったからこそ、自分をストイックに、厳しく律し続けていたのです。
そして、自分が苦しみながら積み重ねてきた努力を、いつしか他人にも求めるようになっていました。
「こうあるべき」
という思い込みで、人に対しても自分自身をも縛っていたのです。
人に腹が立つ時。人を批判したくなる時。実はそこに自分自身の隠れた不安と恐れがあります。
だからムカッとした時こそ、自分を振り返り、自分で自分を縛っていた観念に気づいて手放すチャンスなのです。
治療家はまず人間である
私たちは鍼灸師である前に、一人の人間です。
喜ぶこともあります。
落ち込むこともあります。
病気をすることもあります。
失敗することもあります。
だからこそ、患者さんの痛みや苦しみを理解し、その苦しみに寄り添うことができます。
失恋。
気分の落ち込み。
経済的な苦しみ。
人生の挫折。
もし自分が何の苦労も経験していなければ、人の痛みを本当の意味で理解することは難しいでしょう。
人生で経験した喜びも悲しみ、人生の浮き沈みそのものが治療家としての糧になっていくのです。
術者の在り方が治療になる
東洋医学では、何をするか以上に、どう在るかが大切です。
どんな理論を知っているか。
どんな技術を持っているか。
もちろん、それも重要です。
しかし最後に患者さんへ伝わるのは、どんな心で向き合っているのか。
どんな眼差しで人を見ているのか。
その在り方です。
術者の在り方そのものが治療になる。
私は四十年近い臨床を通して、そのことを何度も実感してきました。
だから私は、技術を磨くのと同じくらい、自分という人間を育てることを大切にしています。東洋医学とは、技術と人間性、その両方を育て続ける医学なのだと思うのです。





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