ブログ「鍼道 一の会」

師につく勧め― 技術よりも大切なもの【5】

この記事について

鍼道 一の会 基礎医学講座でお話しした内容に、加筆・訂正したものです。

 東洋医学の世界では、昔から「まず良い師につけ」と言われてきました。

 現代では、本もありますし、動画もあります。インターネットを開けば、膨大な情報が手に入ります。それなのに、なぜ今もなお師につくことが大切なのでしょうか。
 それは、東洋医学の本質が、知識や技術だけではなく、「ものの見方」や「術者の在り方」にあるからです。

技術は真似できる

鍼の刺し方。
脈の診方。
治療の手順。

 こうした技術は、本や動画から学ぶこともできますし、見ればある程度は真似することもできます。しかし、本当に大切なのはそこではありません。

師は患者さんのどこを見ているのか。
何を感じ取っているのか。
なぜその判断に至ったのか。
患者さんのどこに心を向けているのか。
そして、患者さんと師の間には、どのような「気」が流れているのか。
それらは、本だけでは決して学べません。

 実際の臨床の場に立ち会い、その空気を感じ、師の姿を見続けることでしか伝わらないものがあります。

人は見たことのないものを実感できない

 私自身、若い頃から鍼灸には大きな可能性があると感じていました。しかし、それは本を読んだからではありません。実際の臨床で、さまざまな病を抱えた患者さんが良くなっていく姿を何度も見たからです。

苦しそうに来院された方が笑顔で帰っていく。
長年悩んでいた症状が改善する。
人生そのものが明るく変わっていく。

 その現実を目の当たりにしたとき、「鍼灸には本当に人を癒す力がある」ということが、腹の底から理解できました。

 人は、見たことのないものは、その可能性を実感することができません。だから鍼灸の可能性も、自分が知っている範囲のものとしてしか捉えられないのです。
 だからこそ、実際に患者さんが回復していく姿を目の当たりにすることが、何より大切なのです。

 高い場所へ登ろうという意欲があり、梯子も持っている。しかし、その梯子をどこに掛ければよいのかが分からない。そのような人は決して少なくありません。
 だからこそ師につき、実際の臨床を見て、その場に流れる気を肌で感じることが大切なのです。

師から受け継ぐのは思想である

東洋医学にはさまざまな流派があります。
治療法も違います。
診法も違います。

しかし、本当に受け継ぐべきものは技術ではありません。

思想です。

どのような思いで患者さんと向き合うのか。
何を大切にして診るのか。
人という存在をどう捉えるのか。
人はなぜ病むのか。

その根本となる世界観こそが、師から受け継ぐべきものです。

技術は枝葉です。
思想は根です。

根が育たなければ、枝葉は大きく育ちません。

ご縁が人を育てる

 振り返れば、私の歩みもご縁の連続でした。

 私が鍼の世界に入るきっかけとなったのは、患者として通院していた鍼灸院の院長先生からスカウトされたことでした。

 そこで出会ったのは、痛いところだけを診る局所治療ではなく、人を生命全体として捉え、「気」の流れを整えることで健康を回復へ導く伝統医学でした。

 私はその師のもとで数年間学び、その後、自らさらに学びを求めて、同じ伝統医学を実践されている、もう一人の師と出会いました。

 私にとって、このお二人の師との出会いは、人生においてかけがえのない財産です。

 お二人の師と出会えたおかげで、臨床では幾度となく壁にぶつかりましたが、鍼の道そのものに迷うことは、一度もありませんでした。
 それは、師から技術だけではなく、東洋医学の思想と、人としての在り方を学ばせていただいたからだと思っています。
 その後も、多くの先生方との出会いがあり、勉強会で志を同じくする仲間にも恵まれました。
 どれ一つ欠けても、今の私はありません。

 人は、自分一人で成長しているように思いがちですが、実際には多くのご縁に支えられて歩んでいます。
 東洋医学は、とりわけその色合いが濃い世界です。
 知識だけなら、本から学ぶことができます。
 しかし、人としての在り方は、人からしか学ぶことはできません。
 だからこそ、師につく意味があります。

 師から受け継ぐのは、知識や技術だけではなく、生き方であり、患者さんとの向き合い方であり、人をどう理解するかという姿勢そのものです。
 その積み重ねが、やがて自分自身の臨床を形づくり、自分だけの道へとつながっていくのだと思います。

師を超える必要はない

 若い頃の私は、「師匠を超えなければならない」と思い、一生懸命努力していました。
 しかし今は、その考えは少し変わりました。
 師を超える必要はありません。
 師と同じになる必要もありません。
 大切なのは、自分自身の道を歩むことです。

 師は目的地ではありません。
 進むべき方向を示してくれる道標です。
 師から学び、経験を積み、自分自身の感覚を育てながら、最後は自分の足で歩いていく。それが本来の学びなのだと思います。

それぞれの花を咲かせる

 長年、多くの先生方を見てきました。
 同じ師に学び、同じことを教わっても、同じ治療をする人はいません。

 それでいいのです。

 稲垣座長には稲垣座長の良さがあります。
 江見先生には江見先生の良さがあります。
 そして皆さんには、皆さんにしかない良さがあります。
 大切なのは、誰かのコピーになることではありません。
 自分にしか咲かせられない花を咲かせることです。

 そのために、まず師から学ぶ。そして学び続ける。

 その積み重ねの中から、自分の個性や感性が輝く治療が少しずつ育っていくのです。

本当の師とは

最後に。

 本当の師とは、答えを与えてくれる人ではありません。問いを与えてくれる人です。

 人はなぜ病むのか。
 患者さんをどう見るのか。
 人生をどう生きるのか。
 人の幸せとは何か。

 そうした問いを投げかけ続けてくれる存在です。

 また、師といえども完璧な人ではありません。
 一人の人間として悩み、迷い、喜び、成長し続ける、その生き方そのものが学びになります。

 そして私たちもまた、その問いを抱えながら歩み続ける。

 その歩みそのものが、東洋医学の学びであり、術者として成熟していく道なのだと思います。

金剛山 伏見峠登山道にて撮影

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