【無事鍼灸免許取れました
&施術ができるようになりました】

右も左も分からない、縁もゆかりもなかった大阪に出てきて早3年が経ちました。
いつの間にやら、恵まれた環境や仲間に囲まれ、ホームシックになることなく、楽しく関西生活が送れていることに、本当にありがたく思います。
題名の通り、3月に国家試験を受け、無事に鍼灸師としてはスタートラインに立ちました。
いろいろ考えた結果、施術もしていきたいので、しばらくは三重でも農をやりつつ、大阪で施術と、2拠点でいい感じにプラプラすることにしました。
その他、単発で九州(地元福岡)でやったり、このフッ軽を生かして出張(ご自宅や間借り)も可です
横になる場所があれば、どこでも行きます(笑)
その場合の金額は変えようと思いますので、またお問い合わせください。
時間は、今のところ予約が入れば赴く形にしようと思っています。
事前に私にメッセージor下記フォームよりお問い合わせください
以下つらつら呟いてみます。
《鍼灸の道に行こうと思ったきっかけ》
そんなこんなで、大阪に出てきた目的だった「鍼灸免許の取得」は達成。
専門学校に入る前は、私がカンボジアにいたころに「病気で苦しそうな子どもたちに何もできなかった悔しさ」をバネに医療系に行こうと決めましたが、
今となっちゃ「たった一本の細いハリガネで身体が変わる鍼灸の可能性に対する探求心」のほうが強い。
《私の出会った鍼灸の先生とその考え方》
鍼灸って学校の勉強だけでなく、たくさんのやり方・考え方(流派)がある。
専門学校に入ってすぐ、いろいろ勉強会をつまみ食いしていたころに、今の鍼の師匠のブログにたどり着いた。
ある記事を読んですぐ、「鍼を受けてみたい」と連絡をした。
それから、いつの間にやら、先生の元で臨床を学ばせていただくご縁ができ、臨床にお邪魔させてもらっている。
問診、脈、お腹、背中、顔色、舌の状態を診て、患者さんの身体の状態を把握するのだが、「カンシャクミャクフ・・・(脈)」「シンカマン・・・(お腹)」「シンに青黒・・・(顔色)」・・・?
なにこの暗号みたいな言葉の羅列~!?って思いつつ、とりあえずカルテに記載。
最初は何もわからなくって、先生が言った情報をカルテに書くのに必死必死…。
そして、そこで得た身体の情報を元に、患者さんの身体の中で何が起こっているのかに検討をつける。
「気・血・津液」と東洋医学ではよく言うが、それらが身体のどのへんで滞っているか、または不足しているか。そして、どこに鍼やお灸を持っていけば、流れが均されるか。
使う鍼の本数は、できるだけ少なく。あくまで身体にとっては異物として捉えている。(「毒を毒で制す」みたいなものか)
日本刀を向けられると、視覚的に「うああ、怖いっ」ってなるのと同時に、身体もキュッと緊張するのは想像がつくと思う。それと同じで私が教わっている鍼やお灸は、視覚は使わなくても、鍼を近づけることによって身体が反応するのを利用している。
《シンプルな施術を目指したい》
髪の毛くらいの細い鍼を一本さし、15分ほど置いておく。早ければ、それで諸症状がとれていたりする。(肩こり腰痛のイメージが強いですが、私の鍼の師匠の患者さんは肩こり腰痛で来ている人のほうが少ない)
一本鍼をさすごとに、微細な身体の変化を確かめ、その変化に応じて次の一手を考える。一回の施術で使う鍼は私の師匠はせいぜい2.3本。(私は3.4本かなあ。)たくさんさすのではなく、できるだけシンプルに。
側溝で想像してもらったらわかりやすいかもだけど、溝にゴミが溜まっているとき、ゴミを取り除けば勝手に水が流れ出す。別の溝を掘ったり、水の勢いを増ためにポンプを付けたりする必要はない。
それと同じで、鍼もあくまで身体の流れを整える一助であり、その人の身体がご機嫌な状態に戻る助けをしているだけに過ぎない。
いろいろやり方があるので、これが一般的とは思われたくないが、あくまで私が学ばせてもらっているのはそんなやり方。
「肩こり・膝痛・頭痛・・・があってしんどい」という患者さんがいたとき、たくさん症状があっても、その機序と、身体のドコで何が滞ったり不足しているか、がわかれば、全部症状が繋がり、じゃあ鍼やお灸でどう調整したらよいか、が見えてくる。
未だに何度やっても、「はー、不思議すぎる。。。」の連続であり、「身体の繊細さと可能性」をまじまじと実感させられる。
《意外とアプローチがなされない身体と密接なメンタル》
そして、私の鍼の師匠含めた勉強会でも、「メンタル」の重要性も唱えている。
「これやっとけば健康!」とか、「添加物とらなければ健康!」といったものではなく、もっと「心」「身体」ともにごきげんでいる、そのバランスが大事なんだと思う。
緊張すると下痢しやすかったり、疲れてくると頭痛が起こったり、そんな人もいると思う。
それがまさに心と体の関係。
切り離せたらラクなのに、と思うが、切っても切り離せないのが現実。だからこそ、「自分の内側(メンタル)になにが起こっているのか」に向き合う。
諸症状を邪魔者・悪者扱いにはせず、意識には上がっていない(こともある)身体の何かのサインだと捉えている。
《これからのこと》
そんなこんな、長々と私にとっての東洋医学の世界の魅力を書きましたが、伝えたかったのは、まあ・・・気になる方、不調をお持ちのかたで、身体を預けて下さる方がいれば受けていただけると嬉しいですってことでした!
もちろん、師匠や他のもっと臨床経験がある先生には敵いません。ですが、私は私なりに、自分にできる最大限のことをやるしかない、と思っています。
学校も終わり自由になった嬉しさがある一方、雇われの身でないという不安と恐怖も入り混じっているのが本音な部分です。でも、何者かにならねばと、人の役に立たねば自分の価値はないくらいに思って、頑張っていた生きていた数年前のモチベーションとはうって変わり、今や天職なのか?というくらい、「触れる」ことが好きでいられるのがほんまラッキーな選択してるなぁと思います。
「来月カンボジア行ってくるので1ヶ月休ませてくださーい!」とか言っても、
「ええよー来れるときで。」と言ってくださったり、自由奔放にさせていただきつつも、わからないことを質問したり、漢方の相談をすればいつも親身になって答えてくださる、そんな優しくて芯があり、ご自身の人生を愚直に生きる金澤先生が大好きです。
出逢えたこと、たくさん学ばせていただいたことに、感謝です。
そして、和気あいあいとした雰囲気で楽しく東洋医学を学ばせて下さる一の会の皆さん、私が学生のうちからたくさん実験台(笑)として鍼を打たせてくださった方々、身体学や古武術あそびをともにしてくださった方々、本当にありがとうございます。
今後とも、こんな酒井と一緒に遊んでもらえると嬉しいです。
もちろん学びは続きますが、一旦一区切りとして

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