房事過多も「回数」では測れない
東洋医学の病因のひとつに、「房事(性生活)の不節制」があります。これも、これまでお話ししてきた「食の偏り」や「過労・安逸」と、実はよく似た構造を持っています。
房事の不摂生というのは、単に回数の多い少ないで測れるものではありません。ひとつの目安になるのは、行為のあとにすっきりするかどうか。あるいは翌日、疲れが残らずすっきり起きられるかどうか。この身体感覚こそが、節度を見極めるポイントになります。
本来であれば、気分が高まって房事に及び、それによって心身が疲れれば、その高まりは自然と静かに収まっていくはずです。房事に溺れて体を痛める前に、疲れて落ち着く――それが自然な流れです。
「陰陽のバランスが崩れる」とはどういうことか
東洋医学では、体を支える根源的なエネルギーを「腎精(じんせい)」と呼び、これを「陰」の働きとして捉えます。一方で、欲求や情熱として立ち上がってくる火のような働きを「相火(そうか)」と呼び、こちらは「陽」の働きです。
本来この二つは、寄せては返す波のように、互いに支え合いながら動いています。欲求(陽)が高まり、行為を終えれば、それに見合うだけ静かに収まり、安らぎとともに腎精(陰)の回復へと向かっていく。この自然な往復こそが、健やかな状態です。
ところが、腎精という土台がすでに消耗しているにもかかわらず、欲求だけが亢進し続けてしまうことがあります。東洋医学ではこれを「相火妄動(そうかもうどう)」と呼びます。土台が痩せ細っているのに、火だけが暴走してしまっているようなイメージです。
あるいは、精神的な緊張やストレス、不安が続くことで、常に「陽」が高ぶった状態が保たれ、心身が「陰」に戻って休まる機会を失ってしまっていることもあります。
それが体を痛めるほど房事を重ねてしまうというのは、こうした陰陽のアンバランスが常態化していないと起こらないことであり、これもまた、心の状態の問題に行き着くのではないかと思います。
食の偏りにおける陰陽の不均衡も、本来であれば体が気づいて、自然とブレーキがかかるはずのものです。たとえば冷たいものを食べすぎれば、胃腸が弱ってそれ以上食べられなくなる。ところが、体調を崩すまで食べ続けてしまう人がいます。
これも同じく、「求める力」の方が「体からの制止」を上回ってしまっている状態です。そして、そうさせているのは、結局のところ心のあり方だと思います。
過去ブログ
なぜ、お腹がいっぱいなのにまだ食べたくなるのか ―「食の偏り」と心の欲求不満
満たされているのに、もっと満たされたい
房事についても、若い頃はエネルギーにあふれ、旺盛な人が多いものです。人にはそれぞれ人生において「旬」という時期があり、若いうちに盛んであること自体は、生命としてごく自然なことだと言えます。そして、年齢とともに、そうした欲求は自然に落ち着いていくのが本来の姿です。
しかし、陰陽のバランスが崩れて、房事に及んでしまう――そこには、心の問題が絡んできます。これは、お腹がいっぱいなのに食後にまた食べたくなる、という感覚とよく似ています。満たされているはずなのに、もっと満たされたい。結局、本能的な部分に、ある種の歪みが生じてしまっているということです。
歴史を振り返ると、身分の高い立場にあった人物が、房事の不摂生によって体を損なった、という話は昔からよく語られてきました。
身分が高く、様々なプレッシャーや子孫を残すことが強く求められる立場ほど、こうした不摂生に陥りやすかったのかもしれません。当時のお抱えの医者たちも、「房事を控えるように」と進言することに、たいへん苦労したと伝えられています。
「したい」のに、体がついてこないギャップ
一方で、臨床の場では逆のご相談を受けることもあります。「勃たなくなったので治したい」というご相談です。
心のどこかでは求めているのに、体がついてこない――このギャップに、多くの場合、心の状態が深く関わっています。
以前診させていただいた男性の患者さんに、こんなケースがありました。
夫婦関係の中でパートナーの不貞があり、離婚に至った。それ以来、ずっと機能しなくなってしまった、という方です。
ご本人は「別にしたいわけではないんだけれど」と言葉少なに話されていましたが、その裏には相当なショックがあったのだろうと感じました。
もし「もう別れて次に進もう」と割り切れるタイプの方であれば、そこまでの影響は出なかったかもしれません。それだけその方にとっては、元妻の不貞が、メンタル面に深く突き刺さる出来事だったのだと思います。
このようなケースでは、まず「治さなければ」と急ぐ前に、「このままでもいい」というところから受け入れていくことが大切です。体そのものが弱っているというよりも、心が強い緊張状態を長く保ち続けていて、リラックスすること自体が難しくなっている、という場合が少なくないからです。
また、別の患者さんでは、慣れない海外での生活の中、言葉の壁もありリモートワークで一人きりの時間が続いていた方が、同じように機能しなくなってしまったケースもありました。このときは、根底にあったのは「孤独感」だったのだろうと考えています。
まとめ ― 房事の問題も、結局は心の状態に行きつく
結局のところ、飲食の問題と同じように、房事の問題にも、心のあり方が大きく関わっています。心の中にある「満たされたい」という欲求、そしてそれをうまく制御できない状態――そこに向き合わない限り、房事の問題も、食の偏りの問題も、根本的な解決には近づいていかないのだろうと思います。
満たされているはずなのに、まだ満たされない。そう感じるとき、それは体の問題である以上に、心が発しているサインなのかもしれません。

咲いては枯れ、また花咲く… 夏の終わり
金剛山山頂で シシウド(猪独活)




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