ブログ「鍼道 一の会」

なぜ、お腹がいっぱいなのにまだ食べたくなるのか ―「食の偏り」と心の欲求不満

病因

この記事について

本記事は、鍼道 一の会の基礎医学講座「病因」での議論をもとに構成しています。

「五味の偏り」という視点

 東洋医学では、病気の原因のひとつに「食の不摂生」があります。教科書的にまとめると、次のようなことが言われています。

  • 五味の偏り : 酸・苦・甘・辛・鹹(塩辛い)のうち、特定の味ばかりを好んで食べ続けること
  • 寒性・熱性の食べ物の過食 : 冷たいもの・生ものの摂りすぎ、あるいは辛いもの・熱いもの・肉類の摂りすぎ
  • 味の濃いもの・脂っこいものの過食
  • 酒の飲みすぎ

 それぞれに、体に出やすい症状のパターンがあります。冷たいもの・生ものを摂りすぎれば、お腹の中に寒が生じて腹痛や食欲不振が起こりやすくなります。
 逆に辛いもの・熱いもの・肉類を摂りすぎれば、胃に熱がこもり、お腹の張りや便秘が起こりやすくなります。味の濃いもの・脂っこいもの・甘いものは、脾に負担をかけ、湿や熱を生みやすい。

 ここまでは、いわゆる「食べ物の性質」の話です。ですが先日の講座で話題になったのは、もう一歩踏み込んだ問い――「そもそも、人はなぜ特定の味に偏ってしまうのか」ということでした。これは、人間理解のための一つのアプローチとも言えます。

五味への欲求は、心の欲求の裏返し

 五味の偏りをひとつずつ見ていくと、面白いことに気づきます。

  • 酸味を強く欲しがるのは、「引き締めたい」という欲求の表れかもしれない
  • 苦味を欲しがるのは、「下ろしたい」という欲求
  • 甘味を欲しがるのは、「緩めたい」という欲求
  • 辛味を欲しがるのは、「発散したい」という欲求
  • 鹹味(塩辛いもの)を欲しがるのは、「柔らかくしたい」という欲求

 たとえば夏場、汗をたくさんかいたときに、酸味と甘味の効いた酢の物や飲み物が美味しく感じられることがあります。これは、汗で緩んだ体を酸味で引き締めながら、甘味で気の流れを穏やかにする、という自然な欲求の表れと考えられます。
 逆に冬場、体がすでに寒さで引き締まっているときには、柑橘系の酸っぱいものをそれほど欲しく感じない、という感覚に心当たりのある方も多いのではないでしょうか。
 つまり五味への欲求は、その時々の体の状態を映す、ひとつのサインでもあるのです。

「発散したい」のに、発散できていない

 ただし、これが行き過ぎると話は変わってきます。

 辛いものへの依存は、その典型例です。最初は「刺激が欲しい」という程度だったのが、だんだんと「もっと辛くしないと物足りない」というふうに量が増えていく。これは味覚が慣れてしまうことに加えて、体がその刺激では本当に満たされていない、ということでもあります。

 辛味は本来「発散」の作用があります。発散が十分にできれば、そこで満足して落ち着くはずです。ところが、発散しきれていないと、いくら摂っても満たされず、さらに欲しくなる――という悪循環に陥ります。
 実際、臨床の場でも、香辛料を大量に摂り続けた結果、体温調節がうまくいかなくなったり、陽気を消耗してしまったりするケースが見られます。または辛味で生じた熱によって体内の血(けつ・燃料)そのものが足りなくなって熱源不足(血虚)の状態、と捉えることもできます。

 甘いものについても同じような構造があります。甘味には気を緩める働きがありますが、緩めすぎると巡りが滞り、内側に熱がこもりやすくなります。
 たとえると、抵抗のない電線は熱を生じませんが、抵抗を加えると熱を生じるイメージです。甘いものを食べて一時的に緩んでホッとしても、それが慢性化すると、かえって気の流れがうっ滞し、様々な病邪を生じて、結果としてさまざまな不調を来します。

過食の裏にある「隠れた欲求不満」

 ここで臨床上、大切な視点があります。それは、食の過食は、しばしばその人の「隠れた欲求不満」を満たそうとする代償行動である、ということです。

 食べすぎて体重や血糖値が問題になっている方に対して、「食べ物を我慢しましょう」とだけ伝えるのは、実はその人にとって少し酷なことかもしれません。なぜなら、その過食の裏には、本人自身もはっきりと意識できていない欲求――たとえば「誰かに認めてもらいたい」「寂しい」「不安」「満たされない何かを埋めたい」という思いが隠れていることが少なくないからです。

 普段は落ち着いていても、何かのきっかけで、爆発的に食べたり飲んだりしてしまう。そうした経験がある方は、少なくないのではないでしょうか。
 子供の頃は、お腹がいっぱいになれば自然と「もう終わり」と食欲に蓋ができていたはずなのに、大人になり、社会生活の中でストレスを抱えるようになってから、そのブレーキが利きにくくなった、という方もいらっしゃいます。

 食欲は、性欲や睡眠欲と並ぶ人間の根源的な欲求のひとつです。そのなかでも食欲は、どれだけ満たしても社会的に責められることが少なく、しかも今の時代、手軽に満たす手段がすぐそこにあります。だからこそ、欲求不満のはけ口として、食に最も向かいやすいと言えます。

つまり、**問題は「食べ過ぎること」そのものではなく、「その人に食べさせている何か」**にある、という見方です。

お酒の過飲

 お酒の飲みすぎについても、似た構造が見られます。お酒は基本的に辛味・大熱の性質を持ち、種類によって甘味・苦味・渋味が加わります。気を巡らせる理気作用に優れている反面、内熱や痰飲を生じやすいという特徴があります。

 たとえば、仕事のストレスを我慢しすぎて、自分の身体感覚が分からなくなってしまうほど感情を抑え込んでいる方が、家に帰って冷えたお酒を大量に飲み続け、病的状態になっていたケースがありました。
 冷えたお酒は、六腑を冷やしながらも、酒本来の熱の性質によって五臓には熱をこもらせます。ストレスで張りつめた心を緩めたくて飲んでいるはずが、体はかえって余計な負担を抱えてしまう、という皮肉な構図です。
 このことは、舌診所見で、舌表が淡白で色あせているにもかかわらず、舌裏が深紅を呈していることなどからもうかがえます。

まとめ

 こうしたケースに接するたびに感じるのは、食や酒への偏りは、単なる「体質」や「意志の弱さ」ではなく、その人の心が発しているサインとして受け止める必要がある、ということです。
 何を、どのくらい、どんなふうに欲しがっているか――治療と同時にその欲求の背景に目を向け、その人の心の状態や環境を理解し、患者と一緒になって病因となっている問題の解決へと向かっていく。
 それこそが、私たち治療家に求められる姿勢なのではないでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA



reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

▲