ブログ「鍼道 一の会」

気を読む ― 患者は治療室に入る前から語っている【7】

この記事について

鍼道 一の会 基礎医学講座でお話しした内容に、加筆・訂正したものです。

 東洋医学を学び始めた頃、師や先輩方からよく言われた言葉があります。

 「診察は、患者さんが玄関を入った時から始まっている」

 当時の私は、
 「ふ~ん、そんなこと言われても、なんのこっちゃ分からん」
  「そんなこと分かるわけないやろ」
と思っていました。

 まだ経験も浅く、医学理論や脈診、腹診を覚えることに必死だったからです。
 ところが、長年臨床を続けていると、本当にその通りだということが分かってきました。
 患者さんは治療室に入る前から、すでにたくさんの情報を語っているのです。

人は言葉だけで表現しているのではない

 私たちはつい、目の前の病の原因と病理、治療法が大事だと思いがちです。
 もちろんそれらは大切です。

 どこが痛いのか、辛いのか。
 いつからなのか。
 どのような経過をたどってきたのか。
そうした情報は、診断には欠かせません。

 しかし、人間は言葉だけで表現しているわけではありません。

 声の調子。
 歩く速さ。
 呼吸の深さ。
 顔色。
 目の動きや輝き。
 身体のしぐさ、等々。

 そうしたものにも、その人の状態は如実に表れています。
 むしろ、言葉以上にその人の状態を如実に表していることさえあります。

玄関からすでに始まっている

 患者さんが玄関を開ける。
 その瞬間に、その人の雰囲気が伝わってきます。

 皆さんも、大勢が集まっている部屋に、ある人が入ってきた瞬間、部屋全体の空気が変わったと感じた経験はないでしょうか。
 治療所でも、それと同じような感覚があります。

 受付での声の調子。

 待合室で座っている姿。

 治療室へ入ってくる歩き方。

 その一つひとつが、診察の大切な材料になります。

例えば、

 いつも元気な方なのに足取りが重い。

 いつになく声が低く、張りがない。

 なんとなく目に力がない。

 そんな時、「何かあったのだろうか」と感じます。

 そして実際にお話を伺うと、仕事で大きな問題を抱えていたり、家族のことで悩んでいたり、思いがけない出来事が起きていたりすることがあります。

気は姿に現れる

 東洋医学では、気は目に見えないものとされています。
 確かに、気そのものは見えません。
 気は感じ取るものだからです。
 しかし、その働きは見ることができます。

 気が充実している人は、自然と姿勢が伸びています。
 目に力があります。
 声に張りがあります。
 動作も軽やかで、無理がありません。

 反対に、気が落ちている人は、
 肩が下がり、
 呼吸が浅くなり、
 目の動きや輝きも失われていきます。

 気そのものは見えなくても、その現れは全身を通して感じ取ることができます。

感じ取る力は特別な能力ではない

 時々、「先生は特別な能力があるんですね」と言われることがあります。
 でも、そうではありません。
 誰もが本来持っている感覚なのです。

 例えば家族の機嫌。

 朝、顔を見ただけで、
 「今日は機嫌が良さそうやな」
 「朝から何かあったのかな」
と感じることがあります。

声を聞いただけで、
 「今日は疲れているな」
 「何か嬉しいことがあったのかな」
と分かることもあります。
 それと同じです。

 ただ、普段から人をよく観察し、自分自身の感覚を磨いていると、その精度が少しずつ高まっていくだけなのです。

自分の心身を通して理解する

 気を読むためには、まず自分自身の気を知らなければなりません。
 疲れた時の自分。
 元気な時の自分。
 悲しい時の自分。
 怒っている時の自分。
 その違いを知っているからこそ、患者さんの状態も分かるようになります。

 自分自身が病気を経験した人ほど、患者さんを深く理解し、その苦しみに寄り添うことができます
 自分が不眠を経験したから、不眠のつらさが分かる。
 自分が痛みを経験したから、その苦しさが分かる。
 感覚とは知識ではありません。自らの体験から育っていくものです。

 塩のしょっぱさは、本で読んで想像は出来ても本当の理解にはつながりません。実際に舐めて初めて理解できます。
 人を理解することも、それと同じなのです。

「何かありましたか?」の一言

 治療所に入って来られた時から観察していても、ベッドサイドに立った瞬間、「あれ、今日はいつもと違うな」と感じることがあります。 待合室までは気丈に振る舞っていた方が、治療ブースに入った途端、緊張の糸がふっと切れることがあるからです。

 そんな時、「何かありましたか?」と一言お尋ねするだけで、患者さんの表情が変わることがあります。

 「実は……」と話し始められるのです。

 患者さんにとっては、症状だけではなく、自分自身を理解してもらえた。気に掛けてもらえた。そんな安心感が生まれます。
 その安心感が信頼へとつながります。
 そして、その信頼は互いの気の交流を円滑にし、治療効果にも大きく影響していくのです。

気を読むとは人を理解すること

 気を読むというと、何か神秘的な話のように聞こえるかもしれません。
 しかし、本質はそうではありません。

 人を理解しようとすること。
 人をよく見ること。
 人の話をよく聞くこと。
 人の変化に気づくこと。
その積み重ねです。

東洋医学は、人を診る医学です。

病気だけを診るのではありません。

その人自身を診る医学です。

だから気を読むとは、人間を理解しようとする営み、そのものなのです。

気を読む力は愛情から生まれる

 最後に。

 気を読む力は、技術だけで育つものではありません。
 人に関心を持つこと。
 人を大切に思うこと。
 目の前の人を理解し楽にしてあげたいたいと願う心。
そこから育ってきます。

 患者さんを治そうとする前に、まず患者さんを知り理解しようとする。その姿勢がある時、人は少しずつ気を読めるようになっていきます。

 東洋医学の診察とは、病だけを治そうとする作業ではありません。
 その人の人生に耳を傾けることです。
 その積み重ねの中で、術者の感覚は磨かれ、患者さんとの信頼も深まっていくのだと思います。

次章予告

人そのものを診る医療 天・人・地 ― 三才の視点で人を診る【8】

人間を理解するためには、身体だけを見ても十分ではありません。

自然との関係。

家族や社会との関係。

そして、その人自身の内なる世界。

そのすべてを含めて、人は生きています。

次章では、私が長年の臨床経験の中で大切にしてきた「三才」の視点についてお話しします。

金剛山転法輪寺前の不動明王像前にて撮影

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