この記事について
鍼道 一の会 基礎医学講座でお話しした内容に、加筆・訂正したものです。東洋医学を学び始めた頃、師や先輩方からよく言われた言葉があります。
「診察は、患者さんが玄関を入った時から始まっている」
当時の私は、
「ふ~ん、そんなこと言われても、なんのこっちゃ分からん」
「そんなこと分かるわけないやろ」
と思っていました。
まだ経験も浅く、医学理論や脈診、腹診を覚えることに必死だったからです。
ところが、長年臨床を続けていると、本当にその通りだということが分かってきました。
患者さんは治療室に入る前から、すでにたくさんの情報を語っているのです。
人は言葉だけで表現しているのではない
私たちはつい、目の前の病の原因と病理、治療法が大事だと思いがちです。
もちろんそれらは大切です。
どこが痛いのか、辛いのか。
いつからなのか。
どのような経過をたどってきたのか。
そうした情報は、診断には欠かせません。
しかし、人間は言葉だけで表現しているわけではありません。
声の調子。
歩く速さ。
呼吸の深さ。
顔色。
目の動きや輝き。
身体のしぐさ、等々。
そうしたものにも、その人の状態は如実に表れています。
むしろ、言葉以上にその人の状態を如実に表していることさえあります。
玄関からすでに始まっている
患者さんが玄関を開ける。
その瞬間に、その人の雰囲気が伝わってきます。
皆さんも、大勢が集まっている部屋に、ある人が入ってきた瞬間、部屋全体の空気が変わったと感じた経験はないでしょうか。
治療所でも、それと同じような感覚があります。
受付での声の調子。
待合室で座っている姿。
治療室へ入ってくる歩き方。
その一つひとつが、診察の大切な材料になります。
例えば、
いつも元気な方なのに足取りが重い。
いつになく声が低く、張りがない。
なんとなく目に力がない。
そんな時、「何かあったのだろうか」と感じます。
そして実際にお話を伺うと、仕事で大きな問題を抱えていたり、家族のことで悩んでいたり、思いがけない出来事が起きていたりすることがあります。
気は姿に現れる
東洋医学では、気は目に見えないものとされています。
確かに、気そのものは見えません。
気は感じ取るものだからです。
しかし、その働きは見ることができます。
気が充実している人は、自然と姿勢が伸びています。
目に力があります。
声に張りがあります。
動作も軽やかで、無理がありません。
反対に、気が落ちている人は、
肩が下がり、
呼吸が浅くなり、
目の動きや輝きも失われていきます。
気そのものは見えなくても、その現れは全身を通して感じ取ることができます。
感じ取る力は特別な能力ではない
時々、「先生は特別な能力があるんですね」と言われることがあります。
でも、そうではありません。
誰もが本来持っている感覚なのです。
例えば家族の機嫌。
朝、顔を見ただけで、
「今日は機嫌が良さそうやな」
「朝から何かあったのかな」
と感じることがあります。
声を聞いただけで、
「今日は疲れているな」
「何か嬉しいことがあったのかな」
と分かることもあります。
それと同じです。
ただ、普段から人をよく観察し、自分自身の感覚を磨いていると、その精度が少しずつ高まっていくだけなのです。
自分の心身を通して理解する
気を読むためには、まず自分自身の気を知らなければなりません。
疲れた時の自分。
元気な時の自分。
悲しい時の自分。
怒っている時の自分。
その違いを知っているからこそ、患者さんの状態も分かるようになります。
自分自身が病気を経験した人ほど、患者さんを深く理解し、その苦しみに寄り添うことができます
自分が不眠を経験したから、不眠のつらさが分かる。
自分が痛みを経験したから、その苦しさが分かる。
感覚とは知識ではありません。自らの体験から育っていくものです。
塩のしょっぱさは、本で読んで想像は出来ても本当の理解にはつながりません。実際に舐めて初めて理解できます。
人を理解することも、それと同じなのです。
「何かありましたか?」の一言
治療所に入って来られた時から観察していても、ベッドサイドに立った瞬間、「あれ、今日はいつもと違うな」と感じることがあります。 待合室までは気丈に振る舞っていた方が、治療ブースに入った途端、緊張の糸がふっと切れることがあるからです。
そんな時、「何かありましたか?」と一言お尋ねするだけで、患者さんの表情が変わることがあります。
「実は……」と話し始められるのです。
患者さんにとっては、症状だけではなく、自分自身を理解してもらえた。気に掛けてもらえた。そんな安心感が生まれます。
その安心感が信頼へとつながります。
そして、その信頼は互いの気の交流を円滑にし、治療効果にも大きく影響していくのです。
気を読むとは人を理解すること
気を読むというと、何か神秘的な話のように聞こえるかもしれません。
しかし、本質はそうではありません。
人を理解しようとすること。
人をよく見ること。
人の話をよく聞くこと。
人の変化に気づくこと。
その積み重ねです。
東洋医学は、人を診る医学です。
病気だけを診るのではありません。
その人自身を診る医学です。
だから気を読むとは、人間を理解しようとする営み、そのものなのです。
気を読む力は愛情から生まれる
最後に。
気を読む力は、技術だけで育つものではありません。
人に関心を持つこと。
人を大切に思うこと。
目の前の人を理解し楽にしてあげたいたいと願う心。
そこから育ってきます。
患者さんを治そうとする前に、まず患者さんを知り理解しようとする。その姿勢がある時、人は少しずつ気を読めるようになっていきます。
東洋医学の診察とは、病だけを治そうとする作業ではありません。
その人の人生に耳を傾けることです。
その積み重ねの中で、術者の感覚は磨かれ、患者さんとの信頼も深まっていくのだと思います。
次章予告
人そのものを診る医療 天・人・地 ― 三才の視点で人を診る【8】
人間を理解するためには、身体だけを見ても十分ではありません。
自然との関係。
家族や社会との関係。
そして、その人自身の内なる世界。
そのすべてを含めて、人は生きています。
次章では、私が長年の臨床経験の中で大切にしてきた「三才」の視点についてお話しします。




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