ブログ「鍼道 一の会」

性を養う(4)用氣第四②

医心方

 気の修練の為の知識と実践について
 先ずは、鼻毛のお手入れです。

 汚れた気を入れるところは鼻毛がフィルターとなっていますので、定期的に手入れをしていなければ、汚れた気をある程度鼻で浄化するという事ができません。

 しっかりと、呼吸を通す為に手入れをしましょうと言う事が書かれています。
「気を巡らせ、気を閉じる事は最終的には身体を修養する要になるものなので、ここを理解する必要があります。

 できるだけ、汚れが何もない状態にしておくべきで、一杯になっていれば出し入れで詰まる。

 気が停滞して流れが悪くなれば瘡ができます。それは泉が塞がって、水が外に出なくなっている状態と同じようなものである。

 生魚、生虫、生野菜、脂ののった肉を食べて、感情の抑うつを発散できていなければ、気は上がりすぎている状態になる。

 しかし、これを治めるには急激に食べるのを止めたり、ストレスを発散するのではなく、徐々にやっていかなければ効果があがらない。」
 「気を巡らし気を閉じる事は身を治める要であり、先ずこれを理解する必要がある。

 空であり虚であることが望ましい。飽満であってはいけない。もし気が停滞して流れが悪くなれば、瘡ができる。

 例えば泉の源泉が塞がって通らないようなものである。

 生魚、生虫、生野菜、肥えた肉のようなものを食べて、喜怒憂恚を除かなければ、気は異常に上る。

 これを治めるには徐々に行わなければならない。」

 元陽経には、具体的な方法が記されています。

 「鼻に気を入れて、含んだ後に漏らし、舌で唇、歯を撫でて飲むべきである。

 1日の夜に千度飲む事ができれば非常に良い。そして、飲食を少なくすべきである。

 飲食が多ければ、気が逆行し百脉が閉じる。閉じれば気が巡らないのである。巡らなければ病が生じる。」

 ここでも飲食の節制が書かれていますが、気を飲む方法は現代でも気功法の1つに舌を唇や歯につけることで唾を出して飲む方法があります。

 これは鼻から吸った気を口に入れて行う方法を説明しています。
 老子尹氏内解には次のように書いています。

 「唾というものは溜まっているのを醴泉と言い、集まっているのは玉槳と言い、流れているのは華池と言い、散じているのは精液と言い、降りていくのは甘露と言う。

 つまり口が華池と呼ばれている所以である。中は醴泉であり、啄んだり飲んだりすることが灌漑となり、身を潤し、あらゆる脈に流れ、変化して魂魄神意志を養うのである。

 関節、毛髪はこれが集まって生まれる。」

 養生内解には次のように書いています。

 「人が唾を吐かずに含んで飲めば、気を大事にして津液が生じると、これが大要である。」

 体液が生成され、体内に吸収され、心の栄養となって余りは関節や毛髪に行く事が記されています。
 劉君安は

 「鼻から入れる気が生であり、口から吐く気が死である。

 服気できない人でも、朝から暮れまで常に修練すれば、できるようになる。

 常に鼻から入れ、口から吐け。古きを吐いて新しきを納める、吐故納新である。

 現代の人は、よく鼻で笙を吹き、鼻で飲酒する事ができる人がいる。修練を行えば、鼻は口と同じような事ができるのである。

 口から吐き鼻から入れるのは、鼻で吹き、鼻で飲む事を練習するよりも簡単である。

 ただ人が良く習わず、習っても長期間練習しないからとうだけなのである。
 気を煉る練習は、誰にでも簡単にできることだからこそ軽んじられやすいのですが、しっかりと練習することで様々な効果を感じることができます。

 しかし、その練習も短期間やっただけでは、徒労に終わるだけだと誡めてくれているのです。

 そういう筆者もまた、何事も半年くらいでは体感できないことがたくさんありましたが、愚鈍であってもコツコツと長い間行っていた為に感得できたものも多いのです。
原文及び書き下し文
 又云、行氣者先除鼻中毛所謂通神路常人又利喘也。
 又云、氣を行らす者は先ず鼻中の毛を除く。所謂神の路を通ずるなり。常人には又、喘を利す。
 又云、行氣閉氣雖是治身之要然當先達解其理。空又宜虚不可飽満若氣有結滞不得宣流或致發創。譬如泉源不可壅遏不通。若食生魚、生虫、生菜、肥肉及喜怒憂恚不除而行氣令人發上氣凡欲修此皆以漸。
 又云、氣を行らせ氣を閉ずるを雖しこれ身を治むるの要なりとせば、然らば当に先ずその理を達解すべし。空又は宜しく虚なるべし。飽満すべからず。若し氣の結滞するありて宣流を得ざれば、或いは發創を致す。譬えば泉源の壅遏不通なるべからざるが如し。生魚、生虫、生菜、肥肉の若きものを食し、及た喜怒憂恚除かざれば、行氣、人をして上氣も發せしむ。凡そこれを修めんとすれば、皆漸を以てせよ。
 又云、元陽経云、鼻内氣含而嗽漏、舌料唇齒、咽之。一日得千咽甚良。當少飲食、飲食多氣逆百脉閉、閉則氣不行、不行則生病也。
 又云う、元陽経に云わく、常に鼻を以ちいて氣を内れ、含みて嗽漏し、舌もて唇齒を料でてこれを咽むべし。一日夜に千たび咽むことを得れば甚だ良し。当に飲食を少なくすべし。飲食多ければ氣逆して百脉を閉ざす。閉じなば則ち氣行らず。行らざれば則ち病生ずるなり。
 又云、老子尹氏内解曰、唾者湊為醴泉、聚為玉槳流為華池、散為精液、降為甘露。故口為華池。中有醴泉、嘨而咽之漑藏、潤身、流利百脉、化養萬神。支節、毛髪宗之而生也。
 又云う、老子尹氏内解に曰く、唾は湊りて醴泉となり、聚りて玉槳となり、流れて華池となり、散じて精液となり、降って甘露となる。故に口を華池となすなり。中に醴泉あり。嘨してこれを咽めば藏を漑し、身を潤し、流れて百脉を利し、化して万神を養う。支節、毛髪はこれを宗として生ずるなりと。
 又云、養生内解云、人能終日不唾含来而咽之令人愛氣生津液此大要也。
 又云う、養生内解に云わくに、人能く終日唾せずに含み来たりてこれを咽めば、人をして氣を愛しみ津液を生ぜしむ。これ大要なり。
 又云、劉君安日食生吐死可以長存謂鼻内氣為生口吐氣為死。凡人不能服氣從朝至暮常習不息修而舒之。
 又云う、劉君安が曰くに、生を食し死を吐けば、以て長存すべし。謂えるは、鼻より内るる氣を生と為し、口より吐く氣を死と為すなり。凡そ人之服氣する能わざるものも、朝より暮れに至るまで常に習いて息まざれば、修めてこれを舒べん。
 又云、常令鼻内口吐所謂吐故納新也。現世人有能以鼻吹笙、以鼻飲酒者積習所能則鼻能為足所為者令習以口吐鼻納尤易鼻吹鼻飲也。但人不能習、習不能久耳。
 又、常に鼻より内れ口より吐かしめよ。謂う所の故きを吐きて新しきを納むなり。現に世の人にて、能く鼻を以て笙を吹き、鼻を以て飲酒する者あり。積習の能くする所、則ち鼻は能く口の為す所の者を為す。今習いて以て口より吐き鼻より納むるるは、鼻にて吹き、鼻にて飲むより尤も易きことなり。但人之能く習わず、習うとも能く久しくせざるのみ。


 一の会


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