ブログ「鍼道 一の会」

感情は、悪者ではない ―「七情」との向き合い方

病因

この記事について

本記事は、鍼道 一の会の基礎医学講座「病因」での議論をもとに構成しています。

七情とは何か

 東洋医学には「七情」という考え方があります。怒・喜・思・憂・悲・恐・驚という七つの感情のことで、これらは外界の出来事に対して起こる、ごく自然な情動です。
 七情そのものは、通常それ自体が病気の原因になることはありません。感情は、ある出来事に対する生理的反応だからです。
 ただし、五臓の働きを乱すほどの強い刺激や、長期間にわたる刺激が加わったとき、これらの感情は病因――病気の原因――に変わります。

 では、感情そのものには、そもそもどんな役割があるのでしょうか。

 ひとつのヒントになるのが、「起きた出来事を”消化”するためのもの」という捉え方です。
 私たちは食べ物を消化して栄養にしますが、それと同じように、身に起きた出来事や受けた刺激を、感情によって消化し、自分の糧にする――そのために感情という働きが備わっているのではないか、という見方です。

 ですから、素直に感情を表現し、味わい尽くせば、うまく消化が行われ生命が溌溂とした状態になります。

 一方、感情を表現することをためらい、押し込めてしまうと、感情の気が鬱滞して気滞を生じ、これが病因となります。

 また過剰に感情を爆発させると、陽気が過剰となり、陰気が消費され、陰虚陽亢となって重篤な疾患を引き起こします。

 今回は、七情の中でも特に扱いが難しい「怒り」と、それと対照的な性質を持つ「喜び」について、掘り下げてみたいと思います。

怒りの本来の役割

 怒りは、目や肝、自然界でいう「風」のエネルギーと結びついています。上へ、外へと広がっていく性質を持ったエネルギーです。

 怒りには、本来次のような役割があると考えられます。

 ひとつは、自分の境界線を守ること。

 もうひとつは、脅威に対して防衛すること。

 そして三つ目は、問題解決に向けて、行動を変化させる力になることです。

 身体的・精神的に傷つけられたとき、あるいは「自分の存在を無視された」と感じたときに生じる痛みが、怒りの引き金になります。

病的な怒りが生じる原因

 問題は、この怒りが体に影響を及ぼすほど長期化したり、激しくなったりしてしまうときです。その背景には、多くの場合、認知の歪みがあります。
 出来事を正しく理解できておらず、状況を実際以上に大きく、あるいは悪く受け取ってしまっていることが、怒りを過剰に膨らませる原因になっている、という考え方です。

怒りへの対処として、3つの視点

 怒りをなかったことにしたり、無理に抑え込んだりする必要はありません。むしろ、「自分がそこで腹を立てるのは、もっともなことだ」と、まず認めてあげることが出発点になります。そのうえで、次の三つの視点が助けになります。

 ひとつは、現実的に対処することです。怒りは、それだけでは何も解決しません。怒りが解決の手段になるのは、相手がその怒りをきちんと受け止めてくれる場合だけです。
 そうでない相手に対しては、怒りをぶつける以外の方法――環境を変える、距離を置く、伝え方を工夫するなど――を考える方が、結果的に自分を守ることにつながります。

 もうひとつは、自分を正しく認めることです。自分の怒りの正当性を認めると同時に、自分と相手との能力差などを冷静に認められるかどうかが鍵になります。そうすることで、相手への無用な期待から生まれる怒りは、少しずつ和らいでいきます。

 三つ目は、認知の歪みに気づくことです。自分という存在の範囲(縄張り意識)を、必要以上に広げてしまうと、些細なことでも侵害されたように感じ、腹が立ちやすくなります。「今この瞬間の自分」を受け入れ、過ぎ去った自分への執着から距離を取ることも、怒りと上手に付き合っていくために大切な視点です。

 あわせて、「嫌悪」や「嫌い」といった感情も、よく見てみると実は怒りの一種であることが少なくない、という視点も語られました。
 また臨床の場では、本当に深く傷ついている人ほど、「傷ついた」とはあまり口にしない、という気づきもありました。

喜びは、抑えなくていい

 怒りとは対照的に、喜びについては「抑制すべきではない」「調子に乗ってよい」という立場が示されました。

 喜びという感情の大きな特徴は、他者との繋がりから生まれ、分かち合うことでますます広がっていく、という点です。
 そして喜びは、味わうたびに自然と色褪せていく性質も持っています。木が季節の移ろいによって自然に葉を落としていくように、喜びもまた、放っておいても自然と消えていくものです。

 一方で、怒りや悲しみは、繰り返し考え、味わい尽くさないことで、いつまでも長引いてしまいます。これは、その感情を「ネガティブなもの」として捉え、抑圧してしまうことが原因だと考えられます。

 また、自我には自分を守ろうとする働きがあるため、生存に関わりかねないネガティブな出来事や感情は、防衛的に潜在意識に残りやすい一方、ポジティブな出来事や感情は、そのまま自然に過ぎ去っていきやすい、という点も語られました。

 また、喜びに執着しすぎる――同じ喜びをもう一度求め続けてしまう――と、かえって新しい喜びを見つけにくくなります。
 この執着の背景には、多くの場合「恐れ」や「自己不信」があります。次に何が来るか分からないことへの不安が、私たちを過去の喜びに縛りつけてしまうのです。

 こうしたことから、「怒りよりも大事な感情は、実は”恐れ”かもしれない」という指摘もありました。すべては流れ、入れ替わっていくものだという、無常観への言及もあわせて語られています。

次回予告(思)

 最後に、次回のテーマである「思」についても、少し触れられました。他の感情とは違って能動的・主体的な働きに見える一方で、「考えが止まらない」という状態を踏まえると、これもまた感情の一種と言えるかもしれない――という問題提起で、今回の議論は締めくくられました。

弟子の酒井 つぐみ君と筆者

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