ブログ「鍼道 一の会」

背部兪穴と胸腹部募穴(4) 鍼灸と湯液の着眼点の相違

 
 これまで、背部兪穴と腹部募穴について稿を重ねてきました。
 
 この稿では、湯液と鍼灸の着眼点の相違を明確にすることで、鍼灸医学の独自性を高めることをコンセンサスに記述致します。
 
 募穴の存在する腹部は、腹証として湯液家の聖典、『傷寒論』に詳細に記されています。
 
 一方、鍼灸家にとっての腹証は、わずかに『難経十六難』に簡単に記されているだけです。
 
 腹診の系譜に関しては、<明治鍼灸医学 第15号:15-30(1994)>
 
「腹診の文献学的研究」という論文に詳しく記されていますので、興味のある方はご一読くださればと思います。
 
 

  腹診に関して筆者は、太極的に大きく湯液派、鍼灸派に分けて認識しています。

 鍼灸派は、何といっても難経ですね。

 難経腹診は、『易学』の司天・在泉の見地から観ると解けます。

 この稿では、これ以上詳しく触れません。


 一方、湯液派は、『傷寒論』を中心に、ダイレクトに正邪が鬱滞している場所を腹部に求め、腹部の面と奥行きで捉えるために発達してきたのだと考えています。

 現在は、湯液も鍼灸も共に東洋医学の範疇でくくられていますが、元々は全く異なる発想で発祥したのではないかと考えています。

 それが、戦国時代に至って人々が大きく移動するようになり、また諸子百家と言われるように思弁的な時代となって、鍼灸と湯液の理論的整合性が陰陽論・五行論などによって図られたのではないかと考えています。

 これは、筆者の想像であり、考古学的、時代考証的な裏付けはありませんが、あながち誤りではないのではと、ひとり合点していますので、ご承知ください。

 現在知られている経絡図の最も古いものは、前漢時代(紀元前200年頃)の馬王堆漢墓(まおたいかんぼ)から発掘された、『足臂十一脈灸経」と『陰陽十一脈灸経』です。

 絹布に描かれたその図は、四肢末端から体幹部までの流注しかなく、現在の経絡図のように臓腑を属絡していません。

 むしろ、現代の経筋に近い感じです。

 ここから連想されるのは、裏の臓腑よりもむしろ末梢に着眼し、次第に臓腑の概念と相まって現代伝わっている経絡へと発展してきたのだろうということです。

 (ただし、今後またどのような経絡図が発掘されるかは、わかりませんので念のため。)



 人体にアプローチする際、鍼という道具性からして体表・末梢からのアプローチになるのは、至極当然のことだと思います。

 一方、湯液は飲む訳ですから、一旦内臓に納め、そこから方剤により薬力を体表に向かわせたり体内深くに向かわせたりするわけです。

 ですから当然、中枢としての腹証を中心に観察したと推測するのも、あながち的外れではないのではないかと思っています。


 さて、ここからが本題です。

 現代中医学では、この腹診術は見る影もなく欠落してしまっています。

 これはこれで、理由があると思うのですが、敢えて触れないことにします。

 ところが日本では、江戸期に入って湯液家を中心として腹診が飛躍的に発展してます。

 突出しているのは、やはり古方派吉益東洞(1702-1773)一派ですね。

 根拠としたのは、やはり聖典『傷寒論』です。

 この日本で花開いた腹診術は、湯液を中心に広く行われ、鍼灸もまた湯液派に倣って腹診を中心とした流派が多数出現しています。

 良く知られている、多賀流、意斎流、夢分流などがそれらに相当すると思います。

 刺鍼部位は腹部に限定し、あらゆる病に対処しようとすると、そこに学理はあまり必要でなくなります。

 なぜなら、募穴の特性について述べたように、腹部には多数の経絡が入り混じって流注しているため、腹部の経穴を使い効果が現れても、なぜ効果があるのかが不明瞭になるからです。

 湯液の場合は、腹部の邪の位置(病位)とその性質を腹診から得て、一味一味の薬理に力を注げばいいわけです。

 ところが鍼灸の場合、経絡流注あり、十二原穴あり、背部兪穴ありと、腹部に現れている状況をそれらによってつぶさに弁別することが出来ます。

 例えば、胃募中脘には、ほとんどの経絡が流注していますが、中脘の緊張が足厥陰で弛んだり足陽明で弛んだり、はたまた手陽明の合谷一穴で弛んだりします。

 意図的に病因病理を得た上で選穴、刺鍼すると、中脘穴の緊張が、精神的由来のものなのか、飲食不節由来のものなのかが明確になります。

 またさらに、湯液は陰を通じて陽に働きかけ、鍼灸は陽を通じて陰に働きかけるという、不動の大前提があります。

 このように考えたならば、内傷病に対して鍼灸のアプローチは、腹部よりもむしろ背部兪穴に対して行うのが、最も鍼の特性を生かせることになります。

 つまり、陰病を陽に、内傷病を背部兪穴に引いて治療するということです。

 これまでは、おそらく湯液派の影響で鍼灸術も腹診を行い、腹部に直接アプローチする手法が取られていましたが、これからは背部兪穴にこそ鍼灸術の徳目があるのではと着眼しています。

 その根拠は、<素問・長刺節論篇第五十五>の以下の記述です。

 迫藏刺背.背兪也.

 刺之迫藏.藏會.

 藏に迫るは、背を刺す。背の兪なり。

 これ藏に迫るを刺すは、藏會なればなり。

 この記載を意訳すると、『邪気が五臓に迫ろうとしている時に背兪を刺すのは、五臓の気が背兪に会するからである。従って、正邪抗争の場を五臓から背兪に引くために刺鍼するのである。』と理解できます。


 この記述は、かなり意味深長です。


 精神的にも、腹に収める、腹に一物ある、腹に据えかねる、ハラワタが煮えくり返る・・・等々、開・合・枢理論の合たる由縁を髣髴とするたとえがたくさんあります。

 一方、背中は、肩の荷が重い、肩にかかる、肩をすぼめるなど、解放的でないことに負担を感じるような表現が多く目立ちます。

 また、背中はその人の人生を物語るなどは、陽の陽たるゆえんを示す言葉だと思うのですが、読者の方々は、どのように感じられますでしょうか。

 また背部兪穴と手足の経穴との関係、背部兪穴と手足の要穴のどちらを取穴するのかなど、配穴の考え方も、古典の世界観に法り、人体を三才の空間として意識すると、最も的確で効果的な取穴が可能となります。

 筆者の鍼法としては、術前に気色、脉証、腹証を捉えて、あらかじめ一定の部位の気をどこへ動かすのかを定め、術後に自分の意図した通りに動いたのかどうかを確認します。

 意図通りに動けば、自分の診立てが合っていたことになります。

 しかし残念なことに動かない場合は、

 自分の診立ての問題なのか、

 さては患者の神気の問題なのか、

 選穴の問題なのか、

 鍼の技術的なものなのか等々、

 様々な要因が今後の発展材料として与えられることになります。

 うまくいかない時にこそ、なぜうまくいかないのかを振り返り、進歩の材料になるような工夫がもっとも大切であることを、このシリーズの最後として締めくくらせて頂きます。


一の会



 

 

 
 

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