今回公開しております動画は、「鍼道 一の会」で行っています古典講義に付帯する内容です。
東洋医学、とりわけ鍼灸医学は、黄帝内経を礎にしています。
その黄帝内経の扱っている気は、自然界の気に相応する「人体の気」を中心に記述されています。
ところが、黄帝内経・素問、上古天真論第一に、
<恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安從來.
恬惔虚無なれば眞氣これに従い、精神は内を守り、病いずくんぞ従い来たらんや。>
と述べられています。
・素問、上古天真論の全文と意訳
上古天真論篇 第一
健康で長生きするには、飲食や起居、生活態度全般も大事ですが、最も大事なのはその心が「恬惔虚無(てんたんきょむ)」であることであると最後の括りで述べられています。
恬惔虚無とは、過ぎたことやこれからの未来のことに思い煩わず、「いま・ここ」を楽しむ心持だと筆者は理解しています。
ところがこの恬惔虚無に生きる方法については、黄帝内経ではほとんど触れられていません。そこで黄帝外経の存在に思いが至るのですが、かつて存在したのかしなかったのかわかりませんが、現在外経は伝わっておりません。
そこで筆者は、老子・荘子の存在が外経に相当するのではないかと想像しています。
ところが筆者は、老壮思想を目にすると、言葉としての理解と感性の理解とが分離してしまい、自分のものとすることができませんでした。
そこで神道・仏道に感性的なものを求めていくことになったのです。
黄帝内経が現された時代、医学と宗教・呪術とが切り離されたのだろうと推測しているのですが、論理で人を自然を捉まえようとすればするほど、実態から離れていくことは、荘子・混沌篇ですでに述べられています。
では、黄帝内経以前の医学は、どのようであったのだろう。
筆者は、当時の人々は現代の我々と異なって、神仏・精霊などの自然界、宇宙の気と交流できる感性を持ち得ていたのだろうと考えています。
ところが社会がシステム化されるにつれ、人々の意識も理性と感性との分離化が進むことによって、かつては感じ取れていたであろう神仏・精霊は、次第に姿を消していったのだろうと考えています。
黄帝内経で描かれている世界観・人体感の概念を超え、もっと自由闊達に気を捉まえ、治病に生かしていきたいという筆者の試みです。
気についていくつか過去の投稿しております。気というものを理解する参考になれば幸いです。
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