ブログ「鍼道 一の会」

怒りの涙が、鍼で止まった日 ― 「治せること」と「治せないこと」の境目について

病因

この記事について

本記事は、鍼道 一の会の基礎医学講座 冒頭に、金澤が参加者の質問に応えた内容をもとに構成しています。

 これは、真剣に患者さんと向き合っている治療家の方々に向けて書いた文章です。

 きっちり週に一度、あるいは月に何度も、律儀に通ってきてくださる患者さんがいる。それでも主訴がなかなか軽減しない。わずかに軽減しているだけで、根本的には良くなっていただけない。
 そんなとき、「自分の技術が足りないのではないか」「もっと勉強しなければ」と、自分の力のなさを責めてしまう治療家は少なくないと思います。

 私自身の臨床から、そのことについて考えたことを書いてみます。

ある不眠症の方のお話

 ご年配の女性で、ご主人を早くに亡くされ、一人でマンションで暮らしていらっしゃる方です。1日に2、3時間しか眠れないという不眠を抱えて来院されました。

 不眠が始まったきっかけを伺うと、マンションの自治会の理事を引き受けたことだったそうです。
 理事になった途端、住民同士の対立に巻き込まれ、あちこちから苦情が来る。役員を辞めさせようとするグループがあって、マンション全戸のポストには嫌がらせの投げ込みまで入っているとのこと。
 そんな状況に置かれたら、眠れなくなって当然だと思います。

 体の症状としては、左目の奥に痛みがあり、ずっと涙が止まらない。
 話を聞いているうちに、これはどこにも持っていけない怒りが鬱積して、心・肝の熱が化火して目に熱を持ち、熱で結膜が乾くので涙が過剰にあふれていると診断しました。加えて、目の奥には、足厥陰肝経と手少陰心経が流注しています。

怒りの気を、まず鎮める

 その場で、背中にある「筋縮穴」というツボに鍼(瀉法)をしました。すると、イライラがすっと消え、ほとんど同時に、左目の痛みと涙もその場で止まりました。

 イライラは小さな怒りです。イライラしやすいというのは、すでに怒りがかなり鬱積した肝気鬱結状態にあるということです。
 この方はご自身も気づかないうちに、ものすごい怒りを溜め込み、その怒りの「気」が鬱積し、熱化したものがさらに高度な化火となった。その化火したもので目が乾き、涙というかたちで潤そうと漏れ出している。
 治療は、怒りの気を浄化し、鎮めるように鍼をすれば、涙も止まるはずだし、興奮が鎮まって眠れるはずだと考えたのです。東洋医学的には、疏肝開鬱・清熱瀉火と言ったところでしょうか。

 翌日、この方を紹介してくださった方から「治療後、ご本人からかえって一睡もできなくなったと聞きました。そんなことってあるのでしょうか」と問い合わせがありました。

 病態に対する診立てと治療後の手ごたえから、私の心の軸がぶれることはありませんでした。
 おそらく、治療を終えて帰宅した後、何か身の回りで動きがあったのかもしれません。「帰宅後、何かあったかどうか聞いてみてください」とお伝えしました。

 治療前と後の体の変化はしっかりと確認し、手応えは十分にあったので私の軸はぶれなかったのです。
 自分の軸をずらせば、主訴の不眠悪化と聞けば、自分の診立てが違っていたのか、なぜだろうと考え込んで私が不眠になってしまうところです。
 だからこそ、問診と切診所見から、自分の心持ちにしっくりと来る診立てをしっかりと立てることが肝要です。


 もしその後、現実的な問題が解決しても不眠が続くようなら、先に立てた自分の診立てのプロセスを振り返ることで、また何が間違っていたのか・見落としていたのかを見つめ直す機会になり、また新しい治療戦略・アプローチを生み出す下地にもなります。

 その後の詳しい事情は後日、本人から直接伺うことにしましたが、紹介者からの再度の連絡では、少なくとも、あれ以来イライラは全くない、涙も出ない、目の痛みも消えている、とのことでした。

それでも、眠れない夜は残る

 ただ、夜に眠れないという症状だけは、そのまま残りました。

 これは当然のことだと思います。イライラや涙、目の痛みは、溜め込んだ怒りの気が引き起こしていた症状で、鍼によってその場で解放・浄化することができました。
 しかし、この方の不眠の根っこにあるのは、今もなお続いている、マンションでの人間関係のトラブルそのものです。そちらは、鍼一本で解決できるものではありません。

 紹介してくださった方には、「治療はこの方針で進めますが、不眠を根治・解決するためには、現実的な問題そのものを解決しないと、これはなかなか難しいですよ」とお伝えしました。毎月の理事会、日々攻撃されるような状況が続いている中で、安心して深く眠れというのは、無理な話だと思うのです。

「できることをやった」という場所に立つ

 長年臨床をしていると、こういうケースによく出会います。

 以前診ていた、腰の痛みを訴える若い方も、似たようなことがありました。
 来院のたびに、治療後は楽になるけれど、日々の生活の中でまたぶり返してしまうとおっしゃいます。
 話を聞いていくと、その方が師従している師匠との関係がうまくいっていないことが、根っこにありました。
 その関係の問題が解決しない限り、この痛みはきれいには治まりきらないだろう、というのは、こちら側でもあらかじめわかっていたことでした。

 結局、その方は遠方で継続的な通院が困難であることを理由に通院をやめられました。
 でも、そのことを「失敗した」「力が及ばなかった」とは、私は思っていません。自分にできる治療とアドバイスは、私自身の持っている力の限り精いっぱいやったからです。

 この方が今後どこで誰と出会い、何がきっかけで本当の問題が解決していくかは、私にはわかりません。少なくとも私との間では、できることは全部やりました。ですが身体の腰痛は、どうしても解決できなかった、というだけのことです。 

まじめで一生懸命な治療家ほど、しんどくなる

 まじめで一生懸命な治療家ほど、こういった良くならない患者さんがいると、しんどく感じます。「どうすればすっきりと良くなっていただけるのだろう」「もっと努力して治せるようにならなくては」「私の何が足りないのだろう」と、思い悩んでしまわれます。

 セミナー参加者の中に、私のもとに約1年、きっちり定期的に通ってきてくださっているのに、主訴がわずかにしか軽減せず、自分の力のなさを感じてしまっている、とおっしゃる先生がいらっしゃいました。

 その先生には、こうお伝えしました。「少し立ち止まって考えてみてください。その患者さんが、それだけ長く、律儀に通ってきてくださっているということ自体が、すでに一つの答えなのではないですか。何も感じるものがなければ、人は通い続けないはずです。先生の治療が、その方にとって何らかの意味のある変化を、確かに与えている。ただ、鍼一本の力が及ぶ範囲と、及ばない範囲があるだけですよ」と。

 するとその先生は、その患者さんは過去に大きな事故にあい、現在も大きなトラウマを抱えておられるとお話しされました。時間はかかっても、少しずつでもよくなっていると自覚されてるから患者さんは、鍼を受けに来ているのだと納得されました。

 鍼で動かせるのは、その方の中に溜まったエネルギーの滞りです。けれど、その滞りを生み出している現実の状況そのものを治療の力で動かすには、治療家・患者さん共に根気が必要です。
 人間関係、生活環境、経済的な事情、長年の生き方の習慣――そうした問題が現実の層にまで根を張っている症状は、どれほど技術を積んでも、鍼一本でなかなか短期間で解決できるものではありません。

 やってもやってもなかなか前に進まない方というのは、必ずいらっしゃいます。
 私はそういう方のことを、「嵐のまっただ中の人」と呼んでいます。嵐が過ぎ去った後の、ぐちゃぐちゃになった大地であれば、たとえ時間がかかったとしても良くしていくことができます。けれど、嵐のまっただ中にいる間は、なかなかそうはいかないものです。

おわりに

 治療者としてできることは、自分がどういう診立てで、どういうつもりで治療をしたのかを、まず自分自身にはっきりさせておくことだと思っています。
 それがはっきりしていないと、治療者が予測・期待していた結果が出なかったときに、自分の軸までぐらついてしまうからです。

 自分が、できたこととできなかったことを、素直に見極めながら、嵐の真っただ中にいる患者さんとは、一緒に伴走していく。そういう気持ちで私は、日々の診療に臨んでいます。

 もし今、目の前の患者さんの症状が思うように改善せず、自分の力のなさを感じている先生がいらっしゃるなら――技術が足りないのではなく、今はまだ「嵐のまっただ中」なのかもしれません。あなたができることを、これまでもきっと、精いっぱいやってきたはずです。

 また、こういったこととは別に、セミナーに参加し、治療家として不断にご自身の技術向上に取り組む姿勢は、まことに尊いと思います。

※本記事に登場する事例は、複数の症例を組み合わせ、個人が特定されないよう再構成しています。

金剛山 沢沿いの涼しい、寺谷ルート取りつき

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