ブログ「鍼道 一の会」

七情を生きる② ― 「悲しみ」と、泣くということ

病因

悲しみ ― 「失った」ことを受け入れるための感情

 「悲しみ」は、失ったものを受け入れ、次へ向かうための感情です。それが「執着」に変わって手放せなくなった時、気を消耗させる病因になります。そして泣けることは、心身が緩んでいる証拠であり、癒しにつながります。

 前回の「憂い」は、まだ失っていない大切なものに注意を向ける感情でした。この「悲しみ」は、実際に失ってしまった時に出てくる感情です。「悲則気消(悲しめば気が消える)」と言われるように、悲しみは気を消耗させる感情でもあります。

 講座での悲しみの見解は次の通りです。

・感情: つらい、寂しい、落ち込む、胸が痛む。
・悲しみが生まれる状況: 人、関係、期待、役割などを失った、あるいは叶わなかったと実感している時。誰かや何かに拒絶された時。
・プラスの役割: 喪失を受け入れる時間をつくる。癒しや支えを求め、回復や新しい方向へ向かうプロセスを助ける。
・病因となる時: 喪失を受け入れられず、悲しみがずっと続く。気が消耗し続ける。

「泣けた」ことで気づいたこと

 参加者の中から次のような体験談が開示されました。
 ずっと「俺が、俺が」と怒りで突っ張って生きてきたのですが、何が悲しいのか分からないまま、ある時、涙があふれてきました。すると、心の緊張がふっと緩んで、溜まっていたものが出ていきました。

 そして「ああ、これまでこういう生き方をしてきたんだ、しんどかった、つらかったんだ」と泣いた後で、その涙の意味に気づきました。そういう生き方をしてきた自分のことが、悲しかったのかもしれません。

 後日、うつを経験した方の本を読んだところ「泣けるようになってくると、うつが良くなってくる」と書いてありました。一生懸命生きてきた人が行き詰まってうつになる。
 泣けるとは、無理やり作ってきた信念(外に対する承認欲求)が、実は本当の自分のものではなかったと気づくことであり、それまでの自我の崩壊が同時に起こることなのだと思います。
 そしてこのことに気づくと、人生は自らの魂からの欲求に沿って歩む流れへと変わっていきます。

悲しみが病因になる時 ― 執着

 ある女性患者さんの事例がシェアされました。
 この患者さんは、成人した息子さんを病気で亡くされ、ずっと悲しみに沈んでおられました。体調を崩して通ってくださっていたのですが、ご主人は「亡くなった息子のことは諦めて、二人の人生を前に進めよう」と努力しておられました。
 それなのに奥様が手放せず、前を向けない。 

 患者さんからこのお話を聞いた当初は、「ご主人は冷たい人だな」と思いましたが、奥様が過去の出来事に執着するあまり気が鬱して体調不良を起こしているのだと気づきました。 

 また恋人と別れて、いつまでも忘れられないという場合も同じでしょう。いずれにしても喪失に伴う悲しみには共感できますが、長期間にわたる執着の結果、心身ともに病むケースもあります。

 さらには、失っているのは「人」だけではありません。自分が思い描いていた未来、子供との関係性、期待。いろいろなものを一度に失っているから、その中のどれかが本当に受け入れられなくて、悲しみが続いているのだろうと理解することができます。

 加えて、「十分泣いているけれど、忘れてしまったらあの子がかわいそう、という気持ちが、本気で泣くのを止めているかもしれない」との意見も出されました。
 本気で泣くことは、失ったことを本当に受け入れること。だから、無意識にブレーキをかけてしまうのかもしれません。
 韓国では、お葬式に「泣き女」という職業の人がいます。これも同じ理由かもしれません。誰かが思いきり泣くと、つられてみんなが泣く。そして一つの区切りがついて手放し、未来に意識が向いていく儀礼なのだろうと考えました。

涙にはいろいろある

・ほっとして、緊張の糸が切れて出る涙
・悔し涙
・嬉し涙
・笑いすぎて出る涙
・感謝の涙

 どの涙にも共通するのは、「エネルギーが急に上がってきて、それを散らして気を下ろす働き」だと結論しました。
 怒りでも、喜びでも、悲しみでも、急に上がってきたものが詰まって出し切れない時、目から涙として溢れてくる。
 参加者の体験では、様々な感情が溜まって溜まって胸でパンパンになっていたものが、ふわっと広がって緩み、気が降りた時に涙が出たと話される方がおられました。同じような経験をされた方は、多いのではと思います。

怒りと悲しみの「矢印」

 怒りと悲しみは、上がってくるエネルギーは同じですが、矢印の向きが違います。

 ・怒り: 矢印が外(人)に向く。攻撃性があり、論理でエネルギーを抑え込んで勢いよく飛び出す「水鉄砲」のようなイメージ。
 ・悲しみ: 矢印が自分に向く。降参に近く、緩んで広がって散らす。

 怒りは、人と人の間でトラブルを生じさせますので、社会的には、ネガティブな扱いをされます。
 一方、泣いている人には「大丈夫かな」と人が寄っていく場合が多くみられます。

 もう一つ、「悔し涙」は怒りの涙でもあります。なぐさめようとして声がけすると、「あなたに私の気持ちは分からない」と返されることがあります。そういう怒りの要素を含んだ悲しみもありますね。

 参加者からは、女性の強さは泣けること、男性の弱さは泣けないことではないかという意見も出されました。

 男性は「男のくせに泣くな」と教育されてきた方が多く、なかなかブレーキを外すことが難しい傾向にあります。
 そのため極限まで溜め込み、ポキリと心が折れると立ち直れない場合も少なくありません。
 泣くことを自分に許している女性の強さは、そこにあるのかもしれません。

 最後に、泣けるのは心が緩んでいる証拠でもあります。緊張している心身では、状況を飲み込む余裕がありません。ただし、緩みすぎて気が抜けてしまうと、「気が消える」ことにもなります。 

七情を臨床にどう活かすか

 東洋医学では、七情は病因として明記されています。ところが、七情が病因となっている病に対して、臨床でどのように解決すればよいのか、その解説と方法について書かれた東洋医学の医学書は見当たりません。

 黄帝内経・素問には「悲は怒に勝つ」といった五行の相克を使った記述はありますが、そのような機械的な法則性で人を癒すことはできません。
 余談ですが、五行の相生相克関係で展開された医学理論は、臨床ではほぼ使えないというのが「鍼道一の会」の見解です。人の心身の気の流れは、そのような単純な法則ではとらえきれないほど多様であり、感情には様々なことが背景として存在しているからです。

 臨床では、鬱積した感情を鍼を用いて瀉法することにより解決することもありますが、七情の問題は人と人との関係の中で、その人が気づき、気血が巡るようになっていくことが、人生経験に深みと味わいをもたらし、人格の向上につながると考えます。
 また治療がうまくいかなかった患者さんには、七情の何かが絡んでいた場合が多くあります。「あっさりして、いつもご機嫌な人」で、鍼の効果が薄い人はあまりいないのではという意見も出されました。

現時点での結論 ― 悲しみとのつきあい方

 鍼道一の会としては、現時点で次のように考えています。

  1. 悲しみは、失ったことを受け入れ、次へ向かうための感情である。
  2. 手放せない「執着」が悲しみを長引かせ、気を消耗させる病因になる。失ったものには「人」だけでなく、未来や関係性、期待も含まれる。
  3. 泣けることは緩みの証拠であり、癒しの入口になる。泣くことを止めている心のブレーキに気づくことが大切である。
  4. 七情の問題は、鍼だけでなく、人と人との関係の中で本人が気づき、気血が巡ることで解けていく。この具体的な運用・着眼点・アドバイスを、鍼灸師が自らの体験を通じて身につけていく必要がある。

 今期は一通り七情の問題を扱い、来期も引き続き、具体的なケースを取り上げて検討していきたいと考えています。
 七情の問題が解決できるようになれば、治療はぐっと楽になり、治療効果も上がると考えているからです。

 次回は、「驚き」と「恐れ」です。七情の最後であり、基盤とも言われる「恐れ」に踏み込みます。お楽しみに。 

宇陀市・室生龍穴神社奥宮(妙吉祥龍穴)境内の「天の岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)」

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