筆者金澤にとって「補寫」は、これまでも、今現在もずっと追いかけているテーマです。
「一の会」だけでなく鍼灸学校で行うセミナーでも、鍼灸医学の要は、この「補寫」の一語に尽きることを繰り返し講義して参りました。
以前より「一の会」の会員からこの補寫論についてリクエストがありましたので、基本的なことを簡述します。
まずもって補瀉の目的は、むろん『正気の回復』です。
正気を回復させるために、瀉したり補ったりする訳です。
簡単なことですね。
鍼の技は、補か瀉か、二択なのですから。
ところがこの補瀉が、術者の巧拙を決します。
東洋医学を標榜して鍼灸を行っておられる先生方は、この「補瀉」に心血を注いでおられるはずです。
補法は、『正気の回復』のイメージに合うと思うのですが、瀉法は正気を傷つけるイメージをお持ちの方が、意外と多くおられるように感じております。
瀉法は、邪気を駆逐することによって『正気の回復』を期する方法です。
筆者は、補法よりもむしろ瀉法にこそ鍼の妙味があると考えています。
それでは、まず遠回りなようですが補瀉の字義から。
補は、衣服のほつれを包み込むように補修する(いたんだ部分をおぎない直す)ことを補というのだそうです。
ここから衣服の補修に限らず、すべて「おぎなう、たす、たすける」の意味に用いるようになったそうです。
筆者の感覚では、当て布で繕うようなイメージです。
次に寫=瀉です。
寫=写は、「うつしとる、うつす」の意味に用いられます。
写真とは、対象をそのまま(真)フィルムに写すことですよね。潟は潮が引いて、ひがたとなるような地形の所をいい、やはり移す、除くの意味があります。
(常用字解 白川静 平凡社)
外から侵入してきた邪気は、肌表から外に移す。
内に生じた邪気もまた、外に移すといったイメージです。
ところがです。以下のような考え方もできます。
正気虚に対しては、補法を用いて邪気を外に追いやる。
邪気実に対しては、瀉法を用いて邪気を外に追いやる。
そうすると自然と『正気の回復』が実現します。
ですから、補瀉のどちらを用いても、邪気の排泄がみられます。
逆に言えば、正気よりもむしろ邪気を追いやることこそが主眼となる訳です。
この点に関しては、虚実の概念を述べてからまた書きます。
つづく・・・
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