ブログ「鍼道 一の会」

補瀉論(1)補瀉の字義

 筆者金澤にとって「補寫」は、これまでも、今現在もずっと追いかけているテーマです。

 「一の会」だけでなく鍼灸学校で行うセミナーでも、鍼灸医学の要は、この「補寫」の一語に尽きることを繰り返し講義して参りました。

 以前より「一の会」の会員からこの補寫論についてリクエストがありましたので、基本的なことを簡述します。

 まずもって補瀉の目的は、むろん『正気の回復』です。

 正気を回復させるために、瀉したり補ったりする訳です。

 簡単なことですね。

 鍼の技は、補か瀉か、二択なのですから。

 ところがこの補瀉が、術者の巧拙を決します。

 東洋医学を標榜して鍼灸を行っておられる先生方は、この「補瀉」に心血を注いでおられるはずです。

 補法は、『正気の回復』のイメージに合うと思うのですが、瀉法は正気を傷つけるイメージをお持ちの方が、意外と多くおられるように感じております。

 瀉法は、邪気を駆逐することによって『正気の回復』を期する方法です。

 筆者は、補法よりもむしろ瀉法にこそ鍼の妙味があると考えています。

 それでは、まず遠回りなようですが補瀉の字義から。

 

 補は、衣服のほつれを包み込むように補修する(いたんだ部分をおぎない直す)ことを補というのだそうです。

 ここから衣服の補修に限らず、すべて「おぎなう、たす、たすける」の意味に用いるようになったそうです。

 筆者の感覚では、当て布で繕うようなイメージです。

 

 次に寫=瀉です。

 寫=写は、「うつしとる、うつす」の意味に用いられます。

 写真とは、対象をそのまま(真)フィルムに写すことですよね。潟は潮が引いて、ひがたとなるような地形の所をいい、やはり移す、除くの意味があります。

                         (常用字解 白川静 平凡社)

 外から侵入してきた邪気は、肌表から外に移す。

 内に生じた邪気もまた、外に移すといったイメージです。

 

 ところがです。以下のような考え方もできます。

 正気虚に対しては、補法を用いて邪気を外に追いやる。

 邪気実に対しては、瀉法を用いて邪気を外に追いやる。

 そうすると自然と『正気の回復』が実現します。

 ですから、補瀉のどちらを用いても、邪気の排泄がみられます。

 逆に言えば、正気よりもむしろ邪気を追いやることこそが主眼となる訳です。

 この点に関しては、虚実の概念を述べてからまた書きます。

                         つづく・・・

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