ブログ「鍼道 一の会」

東西医学の世界観・人体観

香り立つ・・・

 それぞれの国と地域の文化は、気候風土の違いを基盤として成立しており、その世界観は各国の民族医学に色濃く反映されている。

 「人間をどう捉えるのか」という命題に対する回答は、医学を志す者にとって、押さえておくべき必須の原点である。

 概ね西洋と東洋では、大局的にその自然観・宇宙観は陰陽関係にある。

 氷河期が長く、緯度的にも北に位置するヨーロッパ地域の人々にとって、自然環境は生きていくためには対立するものであり、生きていくために必要な環境にするべく能動的に働きかけ、創造する必要性があった。

 一方、氷河期が短く、比較的温暖な中緯度に位置するアジアの人々にとって、自然環境は順応すべき対象であり、受動的に自然がもたらす恵みを、最大限に受け取ることに意識が向けられた。

 ヨーロッパ地域の人々にとって自然とは、征服すべき対象であり、アジア地域の人々にとって自然とは、同調すべき対象であった。

 東西の庭園を思い浮かべて頂きたい。

 西洋の庭園は幾何学的な直線と円で造られているが、東洋の庭園は限られた空間(小自然)に大自然を表現しようとして造られている。
 この自然に対する態度の違いは、人体に対する『部分と全体』の捉え方に対しても同様である。

 医学においては、西洋医学は解剖学にその基礎医学を置き、人間を物質的構造体として究明することにその目が注がれた。

 一方、東洋医学は、気学にその基礎医学を置き、解剖を行った事実も存在するが、構造体よりもむしろ運動・変化をもたらす目には直接見えない何かを気象(臓象学)として捉え、気を究明することに力が注がれた。

 そして気学=易学と宗教=道教を基礎として今日まで発展してきたのである。

 生命の存在しない死体をいくら詳しく調べても、生命の本質は捉えることが出来ないと、古代人の目には直観的に映ったのであろう。

 東洋人にとって人間とは、自然と不即不離の生命を内包した構造体として捉え、東洋医学は発展してきた。

 生命の本質とは、生命を保持した生きた人間が、相対する生命と同調して直観的に悟るものであり、物質や構造体を解明する理論では、到底捉え切れるものではないのである。

 一の会

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