2024年度から、「鍼道 一の会」臨床医学講座の午前の部で黄帝内経・素問の解説を担当するようになりました。
その講義内容をまとめる意図で、ブログに書き下ろしてみたいと思います。
その最初に登場するのが、「上古天真論」なのですが、古来よりこの篇は3段に分けられると解釈されています。
そこで筆者は、この3段を天・人・地の三才で眺めながら、筆者なりの解釈をしてみました。
まず最初の1段目は、天に相関させてみました。
1段目の原文と読み下し文です。原文と読み下し・意訳は、以下にリンクを貼っていますので、ご参考にしてください。
上古天真論篇 第一
昔在黄帝.生而神靈.弱而能言.幼而徇齊.長而敦敏.成而登天.
昔、黄帝在り。生じて神靈、弱にして能く言い、幼にして徇齊、長じて敦敏 成りて登天す。
廼問於天師曰.余聞上古之人.春秋皆度百歳.而動作不衰.
廼ち天師に問うて曰く。余は聞くに上古の人、春秋みな百歳を度えて、しかも動作は衰えずと。
今時之人.年半百.而動作皆衰者.時世異耶.人將失之耶.
今時の人、年百半ばにして、動作みな衰ろうものは、 時世の異なるや、人はた、これを失するや。
岐伯對曰.
岐伯對えて曰く
上古之人.其知道者.法於陰陽.和於術數.食飮有節.起居有常.不妄作勞. 故能形與神倶.而盡終其天年.度百歳乃去.
上古の人、其の道を知る者は、陰陽に法り、術數に和し 食飮に節有り、起居に常有り、 妄りに勞を作さず。故に能く形と神を倶え、而して盡く其の天年を終え、百歳を度えて乃ち去る。
今時之人不然也.以酒爲漿.以妄爲常.醉以入房.以欲竭其精.
以耗散其眞.不知持滿.不時御神.務快其心.逆於生樂.起居無節.故半百而衰也.
今時の人は然(しか)らざるなり。酒を以て漿と為し、妄を以て常と爲す。醉いて以て房に入り、以て其の精を竭さんと欲す。
以て其の眞を耗散し、滿を持するを知らず、神を御するに時ならず、務めて其の心を快にし、生きる樂しみに逆らい、起居に節無し。故に百半ばにして衰うなり。
夫上古聖人之教下也.皆謂之虚邪賊風.避之有時.
それ上古聖人の教え下さるや、みなこれを謂う。虚邪賊風、これを避けるに時有りと。
恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安從來.
是以志閑而少欲.心安而不懼.形勞而不倦.氣從以順
恬惔虚無なれば眞氣これに従い、精神は内を守り、病いずくんぞ従い来たらんや。
是を以て志、閑にして欲少く、心安んじて懼(おそ)れず、形を勞して倦まず。気は從い以って順ず。
各從其欲.皆得所願.故美其食.任其服.樂其俗.高下不相慕.其民故曰朴.
おのおの其の欲に從がいて、皆願う所を得る。故に其の食を美(うま)しとし、其の服を任じ、其の俗を樂しみ、高下は相慕(うらや)まず。其の民、故に朴と曰く。
是以嗜欲不能勞其目.淫邪不能惑其心.愚智賢不肖.不懼於物.故合於道.
是を以って嗜欲は其の目を勞すること能わず、淫邪は其の心を惑わすこと能わず、愚智賢不肖は物に懼(おそ)れず、故に道に合す。
所以能年皆度百歳.而動作不衰者.以其徳全不危也.
能く年、皆百歳を度えて、しかも動作衰えざる所以の者は、其の徳を以て全うすれば危うからざるなり。
この第1段目では、黄帝が、元気で長寿となるにはどうすればよいのかを、岐伯に問うことから始まっています。
それに対して岐伯は、陰陽の法則に従い、自然界の気の変化に順応しながら、飲食に節度を持ち、規律のある生活習慣、働き過ぎないことなどを挙げて、上古の時代と当時との違いを述べています。
しかしながら、飲食や生活習慣、労働などよりも究極には心の在り様である「恬惔虚無」こそが最も大切であると説いています。
「恬惔虚無なれば眞氣これに従い、精神は内を守り、病いずくんぞ従い来たらんや。」
意訳すると、恬惔虚無であれば、元気もまたその心に従い、精(血)と神(気)は身体内部をしっかりと守るので、どうして病になどになろうものか、と言ったところでしょうか。
さて、恬惔虚無とは、どういった状態なのでしょうか。
筆者なりの解釈では、現代盛んに言われている「マインドフルネス」のことだと理解しています。
過ぎた過去のことや、まだやってきていない未来のことに、あれやこれやと思い煩うことなく、常に「いま・ここ」に居る状態。
言うは易し、行うは難し… 筆者も、同感です(笑)
黄帝内経は、紀元前後の成立といわれていますが、現代に比べて大自然の中で純朴に生活していたであろう当時、元気で長生きするには、メンタルこそが最も大事であると説かれているのですね。
さらに、黄帝内経では、「恬惔虚無」が最も重要だと書いておきながら、このような心持でいるためのことが一切触れられていません。
ですから、「恬惔虚無」に関しては、他の分野を尋ねるほかないというのが筆者の見解です。さしずめ、老子・荘子あたりに求めるのが順当だと思うのですが、筆者はどうしても頭での理解・言葉の理解になってしまいますので、「自分とつながる呼吸瞑想」を通じて、心身のケアを毎日行っています。
人体においては、上焦・心肺が三才の天位。
君主の官である心の臓と、相傅の官である肺の臓で、いわば身体の政治を執り行うところだとも言えますね。
この全身の政治を司る心肺が乱れると、他の人位(中焦)・地位(下焦)の働きもまた、乱れてしまうことになります。
従って臨床家は、心神の状態を推しはかりながら、身体の不調を治す姿勢がとても大事なことになって参ります。
次回は、2段目、地位(下焦)を中心に説かれているところを読み進めて参りましょう。
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