この記事について
一の会 元副代表 現:相談役の永松周二先生による特別講義「身体学」臨床効果を高めるための臨床家自身の身体学です。
その思想・哲学背景を今後シリーズとして、順次公開して参ります。
今回は東洋医学でも、既存の理論や方法論とは一線を画した、鳳凰堂流師伝と言える部分、六字訣(導引、気功)、推手(切診や施術者の意念)、瞑想(数息観、阿字月輪観、空間制御)について講義及び実技をさせていただきました。
また、軸となる哲学は、周易と老子道徳経です。
【永松 周二】
鳳凰堂鍼灸院ホームページ
http://hououdou.moon.bindcloud.jp/index.html
ブログ「「衆妙の門」 https://shuji0211.hatenablog.com/
noteブログ https://note.com/hououdou/
永松周二先生 略歴 ← リンク貼ってます
【動画の内容】
稲垣会長の軽快かつコミカルな永松相談役のご紹介。
永松相談役による、周易導入解説です。 約10分の内容です。
2021年度第6回 臨床医学講座の取り扱い内容 10月24日
1.八卦・九宮・十二支
2.呼吸法(腹式・丹田式・湧泉式・命門式)
3.六字訣の嘘字訣
4.推手
5.瞑想法(数息観・月輪観・空間感知)
この日の講座は、全ての時間を永松周二先生にご担当いただきました。
永松先生は、以前は副代表として各回の講義をご担当くださり、現在は相談役のお一人として、ネット越しに不定期で講座の監督をご担当くださっている先生です。
今回、永松先生に講義をお願いした最大の理由は、会員の皆さんの切診力向上を目的として(切診 ≒ 触診)、「推手(スイシュ)」をご指導いただくためでした。
「推手」では、相手との組み合いを通し、相手の動きの機微を自分の全身で感じ取るという体験が味わえます。
切診により、我々は、相手の体のどこかで起こっている微妙な変化を探り当てようとする訳ですけど、全身を使って感じ取れないものを、指先だけで感じ取れるはずは無いのですよね。
会員の皆さんの反応を見ていて、推手、やっていただいて良かったなぁと、しみじみ思いました。
相手のことを自分の体で感じ取るためには、自分の軸を定めることが必要なんですよね。
……いや、定めると言うべきか、自覚すると言うべきか……。
会員の皆さんには、ぜひとも今回の体験を良い材料として、患者さんに内在する力動への優れた理解者たらんとする道を引き続き歩んでいっていただけたらなと希望しております。
それから、瞑想法。
「数息観」という、呼吸を数えながら行う瞑想法については、2012年の一時期、独りで居る時の僕は、思考の時以外は常時それを続けるようにしていたのです。
ところが、その継続による影響なのか、自分自身に変化を感じ始めた時、
「いかん、これで心身が整ってしまったら、自分の鍼の実験台が居なくなってしまう」
という恐れを抱き、以降は一切やらないようにしてきのですが、敬愛する永松先生の勧めとあらば、それは僕にとっては特別なご縁、改めて続けてみようと思い、講座でも真剣に取り組んでみました。
すると、僕は元々口呼吸が苦手だったんですけど、ビギナーズラックならぬリターニーズラックというやつなのか、鼻から吸って口から吐くタイプの呼吸に、かつて無いほど究極的な快さを感じてしまえまして、ならば今度は数字の替わりに永松先生の話に出てきた「マントラ」を唱えることでも快楽を味わってみたいと思ったんでしょうね、気付けば「マントラ 大日如来 サンスクリット語 発音」と検索していました。
「月輪観」に関しては、2012年に高野山で「阿字観」を体験した後、人の背中あたりからその人の特性とその発達具合と思われるものが映像としてそびえ立って見えるという病を患ったことが有りまして、まぁ変な話を書いている訳ですけど、当時の自分も変だな、ウソやんと思いつつ、その映像を面白がっていたのですが、面白いけど見えたところで相手の役に立てる訳でもないなと考え、見失うのに任せたという経験が有るんですよね。
この系統も、せっかく永松先生にご縁を頂いた訳ですので、ビギナーズラックのまま終わらせず、改めて遊び直してみる意味も有るのではないかと思いました。
「空間感知」のための瞑想法に関しては、2006年か2007年の夏、体調を大いに崩した時、自我というものが極めて曖昧となっていたのでしょうか、これまたビギナーズラックで、宇宙の果てと言うか、向こう側と言うか、そんな辺りへ意識を飛ばせて、世界を外側から見るという体験を得られたことが有りました。
もちろん幻覚なんでしょうけど、その時に僕が見た世界は、拮抗する純粋な二徳の「かすがい」として貪欲かつ無秩序に膨張を続ける極めて醜く無能な、満腹を知らない太った赤子のような、自らが気まぐれに動かした手足でどれだけの人間が死ぬかも理解できていないような有様で、それを見て以降の僕に、世界への期待と不満を一気に失わせるようなものだったんですよね。
それにより、不満を感じたり神様にすがったりするのは全くの無意味なのだと実感できると、ならば自分は世界の一助となれるように取り組もう、あの赤子が癒され成長していけるよう、自分が受け持った役割を果たしていこうと思うようになりました。
お陰で、以前よりもはるかに多くの時間を心穏やかに過ごすことが出来るようになりましたから、僕にとっては実益が有ったということで、幻であっても非常に助かる体験でした。
で、その段階で僕は十分満足し、意識を飛ばすということの再現性に関しては無頓着なまま今まで来たんですけど、これもまた永松先生にご縁を頂きましたので、意味を感じてひと遊びしてみようかと思えております。
以上で今回の投稿を終えますが、読んでくださっている皆様にとっては、途中から、訳の分からない内容となってしまっていたのではないでしょうか。
そうだとしても、今回ばかりはご容赦ください、僕も、訳が、分かりません。
それでは、また、次回の東洋医学講座後に。
鍼道一の会・現会長 稲垣
Mail: seminar@ichinokai.info
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