胆の生理機能は臨床上、非常に重要であるにも関わらず、中医学的解釈は極めて西洋医学的であり、鍼を握るものにとっては、あまりにも心もとない薄っぺらな内容である。
一の会では、気機を主る中心的な臓腑としては、肝の臓よりもむしろ胆の腑を重要視している。
胆の腑の臓象図は下図にあるように、あまりにも簡素に過ぎるが、その簡素さゆえに自由な発想とイメージがしやすいという面もある。
胆の腑の生理機能と、足少陽胆経の流注・傷寒六経=少陽病位を重ねて眺めて観る。
またさらに開・合・枢理論の枢を意識して重ねて眺めて観る。
胆募穴=日月は昼夜・陰陽であり、京門は腎の募穴である。さらに足臨泣は、帯脉の主冶穴である。
これらはいったい何を物語っているのか。
また <素問・陰陽応象大論>では、「左右は陰陽の道路である」と記されている。
益々以て、意味深長である。
ざっと書き連ねてみたが、胆の腑の意味するところは、紙面では書き切れない広さと奥深さがある。
【概要】
膽は、「月(からだ)+詹(=儋 担いがめ)」の会意形声で、胆汁を入れた担(にいな)いがめのことである。肝胆は互いに相照らしあいながら、身体の左右上下の気機の調節をする。
胆は奇恒の腑(脳・髄・骨・脉、子宮)のひとつであり、腑は「寫而不蔵」であるが、胆は「蔵而不寫」である。<素問・五蔵別論11>
このことから、いわゆる胆嚢の精汁は中医学のいうところの消化のためではなく、一定の重さを維持して左右の調節をし、大きく左右に振れにくくするためである。
また、「胆は中正の官、決断焉より出ず。」<素問・霊蘭秘典論八>で記されている「決断」とは、単に精神的なことだけでなく、肉体の生理機能にまで範囲を広げて理解すると、より臨床像が明確になる。
肺葉の動きは心の蔵が軸となり、肝葉の動きは胆が軸となって決断をし、腎に支えられた胆は、枢軸の機能がぶれないようにしっかりと保持する。
精神的には心胆は「きもだま」と訓読みし、肝(きも)っ玉が太いとは細かいことにとらわれず、物事に動じずどっしりとした人物を形容する場合に用いられる。
一方、心肺は、一時も留まること無く揺れ動いているが、腎と胆は心神の安定になる錘(おもり)の役目をする。
さらにまた昇降出入左右など、気機の切り替わるタイミングは、胆がこれを行う。
<素問・六節臓象論>「凡そ十一臓、決を胆に取るなり」※参考資料あり。
また胆の腑に貯蔵されている精汁は、肝腎の精によるものであり、加齢によって肝腎の精血が低下すると、胆の生理機能も衰え、身体平衡機能の低下や心神が不安定になりやすくなる。
【位置】
十椎下 中枢穴 文字通り、中焦の枢である。
【形状と臓象】
胆の臓象図(肝の臓象を参照)からは、肝葉に包まれるように下にぶら下がっていることから振子が連想され、その時々に応じて左右前後に揺れながらバランスを保つ機能を現している。
【主な経穴】
・募穴・・・日月
・原穴・・・丘墟
・絡穴・・・光明 文字通り、目の疾患(心・肝)に有効。
・郄穴・・・外丘
・背兪・・・胆兪 十椎下 中枢穴
※参考資料 素問・六節蔵象論
心者.生之本.神之變也.
其華在面.其充在血脉.爲陽中之太陽.通於夏氣.
心なる者は、生の本、神の變なり。
其の華は面に在り、其の充は血脉に在りて、陽中の少陰(太陽)と爲す。夏氣に通ず。
肺者.氣之本.魄之處也.
其華在毛.其充在皮.爲陽中之少陰(太陰).通於秋氣.
肺なる者は、氣の本、魄の處なり。
其の華は毛に在り。其の充は皮に在りて、陽中の太陰を爲す。秋氣に通ず。
腎者.主蟄封藏之本.精之處也.
其華在髮.其充在骨.爲陰中之太陰(少陰).通於冬氣.
腎なる者は蟄を主り、封藏の本、精の處なり。
其の華は髮に在り。其の充は骨に在りて、陰中の太陰(少陰)と爲す。冬氣に通ず。
肝者.罷極之本.魂之居也.
其華在爪.其充在筋.以生血氣.其味酸.其色蒼.此爲陰中(陽中)之少陽.通於春氣.
肝なる者は、罷極の本、魂の居なり。
其の華は爪に在り、其の充は筋に在り、以て血氣を生ず。其の味は酸、其の色は蒼、此れ陰中(陽中)の少陽と爲す。春氣に通ず。
脾胃大腸小腸三焦膀胱者.倉廩之本.營之居也.名曰器.能化糟粕.轉味而入出者也.
其華在脣四白.其充在肌.其味甘.其色黄.此至陰之類.通於土氣.
凡十一藏.取決於膽也.
脾胃大腸小腸三焦膀胱なる者は、倉廩の本、營の居なり。名づけて器と曰く。能く糟粕を化し、味を轉じて出入する者なり。
其の華は脣四白に在り。其の充は肌に在り。其の味は甘、其の色は黄、此れ至陰の類なりて、土氣に通ず。
凡そ十一藏、決を膽に取るなり。
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