16条から19条は、おそらく後人の覚書が紛れ込んだものだと思います。
それでも16条は、大切なことを伝えていると思いますので、少し解説します。
【一六条】
太陽病三日、已發汗、若吐、若下、若温鍼、仍不解者、此為壞病、桂枝不中與之也。
觀其脉證、知犯何逆、隨證治之。
桂枝本為解肌、若其人脉浮緊、發熱、汗不出者、不可與之也。常須識此、勿令誤也。五。
太陽病三日、已に發汗し、若しくは吐し、若しくは下し、若しくは温鍼し、仍(な)お解せざる者は、此れ壞病(えびょう)と為す、桂枝之を與(あた)うるに中(あた)らざるなり。
其の脉證を觀て、何の逆を犯すかを知り、證に隨いて之を治す。
桂枝本(もと)解肌(げき)と為す、若し其の人脉浮緊、發熱、汗出でざる者は、之を與(あた)うべからざるなり。常に須(すべから)く此を識(し)り、誤らしむること勿(な)かれ。五。
本文を、ちょっと意訳してみます。
太陽病になってからすでに3日経過した。
その間に、発汗法、吐法、下法を行い、その上、温鍼まで用いたがそれでも病が治らない。
このようにして正証を離れてしまった状態を、壊病というのである。
だから桂枝湯を与えるのは、的外れである。
もう一度現在の脈と証を観て、そもそもどのような誤りを犯したのかをふり返って検証し、改めて証に随って治療を施すのが良い。
桂枝湯というのは、本来解肌を目的とした方剤である。
もし、その人の脈が浮緊で、発熱して汗が出ない場合は、桂枝湯証ではないのである。
常にこのようなことをあらかじめ十分に知りおいて、誤治の無いようにしなけらばならない。
以上の意訳に目を通して頂くだけで、ほぼ解説は必要ないと思いますが少しだけ書きます。
誤治はあってはならないことなのですが、筆者も、やはりやってしまうことがあります。
自己弁護するわけではないのですが、やってしまった過ちに如何に早く気づいて対処できるか、ここに治療者自らの救いがある様に思うのです。
この条文では、「証に随いてこれを治せ」ですから、法に基づいて意図的に行った行為であるならば、直ちに取り返しがつくことを伝えているのだと思います。
この法=原理と意図がありさえすれば、<何んの逆を犯せるかを知る>=どういった診立ての間違いをしたのかに気づけるからです。
このことは、治療においてだけではなく、人と人との関係や、自分自身が生きる上でも大切なことだと思うのですが、みなさまはどのようにお考えでしょうか。
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