お昼に温かいお蕎麦を頂いて、暖かい書斎でつらつらと執筆してると、な~んとなくボ~としてきますね。
で、信号のない泉北1号線をバイクでひとっ走り。
頭がキーンと痛くなりましたが、強制的にリフレッシュ。
さてさて、唐突ですが「こころ」に形って無いですよね。
「こころ」を、気持ちを目の前の「ここに」出せって言われても、気持ちを何らかの形で表現するしかないですよね。
また話が、ちょっと飛びます。ついてきてくださいね。 (*^^)v
「ほとけ」を具体的に表現したものに、観音像とか阿弥陀仏像とか色々ありますが、いずれも誰しもが心の中に既に持っている仏性、様々な現れ方をする仏性をそれぞれに表現したものですよね。
形は無くても、確かに存在する仏性。
何が言いたいかと申しますと、東洋医学の五臓概念も仏像と同じということなのです。
命が表現するものを、5つの要素でつかもうとして、五臓が想定されたのです。
我々現代人の頭の中には、医学と言えば西洋医学がびっちり入り込んでいますので、五臓といえば、いわゆる実体のある臓器を思い浮かべてしまいますよね。
実は筆者も、初学の頃はそうでした。
東洋医学には、五臓という実体は無いんですよ。
びっくりぽん! じゃないです?
実際に解剖して、臓象図とのあまりの違いに驚いたと言われている「解体新書」の杉田玄白くん、ちょっと惜しかったね。
臓象図とは、臓器の絵じゃなかったんですよ (^_-)-☆
いわゆる臓器とは全く別のもの、世界観が全く異なるので接点は無いと考えるのが正解なんですよね。
とはいってもね、それではとらえどころが無い、頼りない。
そこで解剖的・写実的な臓器の形を元にして、なんとか『気の働き』を表現しようとしたのが、あの奇妙な『臓象図』と呼ばれるものなんですね。
唯一、接点というならこの点だけですね。
『十四経発揮』本間祥伯著 より |
上の図は、肝の臓と胆の腑の臓象図です。
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