前回、永松周二先生の投稿 < 「一の会」会員の皆様へ > の文中に、「修行が三年遅れてでも、良い師を見つけろ」 と短く簡潔に書いておられます。
これは本当に重要なことが含まれています。老婆心から、筆者なりに少し書き加えたいと思います。
どのようなものに触れ、どのようなご縁を持っているかで、人生の質と流れの方向性は決定づけられるといっても、過言ではありません。
人は、見たり触れたりしたことのないものを、イメージすることができないからです。
わずか1本の鍼で、大きく体が変化することが事実であっても、実際に見たり聞いたりしたことのないものにとっては、その驚きと感動は、想像することさえできないのが道理というものです。
師を求めることの重要性は、人物、書籍、勉強の場、ともに語り合う仲間・・・これらとの出会いとご縁を求めることにも通じます。
東洋医学的見地から見ると、関係性の相互間には必ず気の交流が起こります。自ら影響を与えると同時に、自らも影響を受けます。
学生諸君は、できるだけ早い時期にすでに耳にしたことのある「黄帝内経」とご縁を結び、師として学ぶことをお勧めいたします。
そこには、東洋医学の世界観・人体観が、歴史の荒波に耐え、言葉の限界を超えようとして様々に表現されています。
東洋医学の世界観・人体観さえ押さえておけば、大海原のような東洋医学の世界で、迷う範囲が大きく狭まります。
これから、人生の一大事の仕事としたい方々には、ぜひ寄って立つ柱の礎にして頂きたい。
どこで学ぶかも、同じです。同様に考えていただいてもいいと思います。
文章や言葉などの形や型を学ぶことが必須のことであることは、論を待ちません。
しかし言外の意を体得するには、師従するのが最も近道です。
術者の心の在り様、使い方。身体的気の置き所などは、実際に場を同じくして感得するのが、最も近道です。
「一の会」では、師従していなくともその周辺のことを『身体学』として永松周二先生がご教授してくださっています。
高度で複雑な学理をどれだけ学ぼうとも、自分の心身の在り様が定まらなくては、何ひとつ生かすことができません。
筆者自身が、永松先生と出会って実感していることでして、この点を見失っておられる方、大変多いように思いますので、ご一考ください。
また、本気度によって同じものに触れても、得るものは天と地の差が出ます。
これは武術や医道だけではなく、道を追及する茶道・花道・書道・・・禅的見性に至ることにまで、普遍的に最重要視される点です。
筆者もまた、二師に師従するご縁を頂戴いたしました。
これまで迷うこと数知れず、紆余曲折はありましたが、幸いにも本道から外れずここまでこれたのは、両師のおかげです。
礼を欠き疎遠となった今でも、足を向けて寝れない思いはずっと持ち続けています。
さて、自分の一生の流れを決定づけてしまうほど大切な師匠を選ぶ目を、筆者なりに書いてみたいと思いますので、参考にしてください。
師匠に限らず、何事においても選択の判断の資にして頂ければと思います。
1.これを一生の仕事とし、本物になりたいと高く志を持ち、求めていること。
2.師匠とすべき人が、理屈なく尊敬でき、人間として厚い好意が自然と湧いてくる
かどうか。
3.世間の誰しもが、「黒」だと言っても、ひとり師匠が「白」だと言えば、抵抗なく
「白」と思えるかどうか。
筆者の感覚では、少し恋愛関係に近いかもしれません。一歩間違えば、危険ですよね。
しかし、人生の大きな飛躍・変化には、必然的にリスクが伴います。
これを避けて生きることもできます。各人、どのような人生にするかは、自由ですのでよくよくご自身と向き合ってください。
そしてさらに大切なことは、関係性の中に「利害・得失・金銭」が介在しないこと。
要するに、一般社会にみられる雇用関係にならないということです。
仮に雇用関係であっても、自分の心の自由さと純粋性が維持できれば、問題はないのですが。
最も気をつけなければならない事として、関係性の内容によっては、自分の心が曇ってしまうことがあることです。
心が曇ってしまうと肝心のことが、知らず知らずの間に、見て見えず、触れて感じずといったことになってしまうからです。
そうなると、ただ年月のみが過ぎ、自分の中に積み重なっていくものがなくなります。
一旦この人を師匠にすると決めたら、何があっても三年は師従すると最初から覚悟する必要があります。
関係性を設けると、師匠もまた弟子から影響を受けます。
師匠は、偉くもなんでもない。ただ、同じ道の上で相前後しているだけなのですから。
その師弟間では、伝承ということが行われます。師匠は、弟子に伝える過程で様々なことを学びます。
師匠は、弟子に伝承することができて、やっと人間的にも臨床家としても一人前になるのです。
なんかね、悟ったかのようなことを書いていますが、実は「黄帝内経」にしっかりと説かれていることなのです。
ですから当然師匠の側も、そう簡単に弟子は受け入れないものです。身の回りに置く人間も、選びます。
師匠もまた、周囲からどれだけ影響を受けるかを熟知しているからです。
師匠と言えども、完成されたものではなく発展途上。上を目指しています。
弟子が多いこと、患者の数・社会的地位などを、師匠を選ぶ基準にしない方が、筆者は賢明だと思います。
世間で流行しているものが、必ずしも自分の感性・個性に合致しているとは限らないからです。また、この医学の真理を実現しているとも限らないからです。
それよりも、師としてこれから仰ごうとしている人物に相対しては、対等な立場であなた自身に生じる内面的感覚を大切にして頂きたいと願います。
自分の個性が生きる・伸びる道を選んでください。
自分の身を立てることに、一生懸命になってください。
師匠もまた、心底願っていることでもあります。
つらつらと、書いてまいりましたが、志が高ければ高いほど、真剣であればある人ほどハードルは、高くなると思います。
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