ブログ「鍼道 一の会」

背部兪穴と胸腹部募穴(3) 前後の気の動き

 
 これまで、背部兪穴(後)と胸腹部募穴(前)の性質の違いとその用い方について述べて参りました。
 
 今回は、前後の気の動きについて解説いたします。 つまり兪穴と募穴間の、気の動きです。
 
 
 先ずは『難経六十七難』に、兪募穴についての記載がありますので、少し見てみましょう。
 
 漢文ですが、あまり難しくありませんので気軽に字面を追ってみてください。
 



 「五藏募皆在陰.而兪在陽者.何謂也.

 
 然. 陰病行陽. 陽病行陰. 
 
 故令募在陰.兪在陽.」
 
 これを直訳しますと、
 
 「五臓の募穴は全て人体前面の陰にあり、兪穴は人体背面の陽に在るのは、どういう訳だろう。」
 
 「そう、陰病は背面の陽に行きます。そして陽病は全面の陰に行きます。
 
 ですから、募穴は前面の陰に位置し、兪穴は背面のように位置しているのです。」
 
 どうでしょうか、これ。

 最初の兪募穴の位置の疑問にちゃんと答えてないですよね。

 何のことか、さっぱりわかりませんね。


 ですが、筆者が注目したのは、『陰病は陽(背面=兪穴)に行き、陽病は陰(前面=募穴)に行く』と記載されている部分です。

 ここに、気の動きを具体的に知るヒントがあります。

 
 さて、ここで「陽病・陰病とはなんぞや」、という疑問が生じます。

 陽病は実証・熱証、陰病は虚証・寒証など、すでに様々な解釈がされています。

 しかしながら、筆者の臨床に則して考えると、いずれも誤りであります。

 バッサリ切った、って感じですかね。

 それでは、筆者の考えを述べますので、異論のある方は、どうぞ遠慮なさらず切り込んで来ていただけると嬉しいです。

 
 さて、陽病・陰病とは何を指しているのか。

 陽病とは、外から人体に侵入してくる外邪性の病の一切、つまり外感病のこと。
 
 陰病とは、内から生じる内因性の病の一切、つまり内傷病のこと。

 
 
 ヒントになったのは、外感病について著された『傷寒論』です。
 
 『傷寒論』は、やはり聖典です。


 ちょっと回りくどいようですが、先ずは傷寒論に記載されている、陽病から陰病に伝変する六経伝変順序を正したいと思います。

 『陽病は陰に行く』という難経の気の動きに、大いに関係するからです。

 
 傷寒論をそのまま読むと、これもまた誤ります。

 これは、一旦散逸した傷寒論を再び集めて編纂した人の間違いか、もしくは何らかの意図があったからというのが筆者の見解です。

 一般成書では、太陽病→陽明病→少陽病→太陰病→少陰病→厥陰病となっています。
 
 正しくは、太陽病→少陽病→陽明病→太陰病→厥陰病→少陰病の順序で病邪は伝変します。
 
 これは病邪の伝変ルートと帰結が空間的に、背→胸脇→膈→腑→臓→死とするのが順当だからです。


 これを部位として置き換えますと、

 後ろ・上→横・前→季肋部→前の腑→前・上・浅い臓→前・上・深い臓→前・深い・下の臓→死、

 という順序になります。
 
 傷寒論の条文をさっと一読して頂くとお分かりいただけると思うのですが、死に至ると最も多く記載されているのは、腎陽虚衰による少陰病編であることが分かります。
 
 厥陰病は、陰陽が交流しない状態。少陽病は、表からまさに裏に邪が入ろうとする境目であることもまた理解できると思います。


 ここをしっかり理解していると、外感病について著された『傷寒論』が、実は内傷病にも応用することが出来ることが分かると思います。
 
 つまり、内傷病の場合、外感病の邪気の伝変ルートと逆に正邪抗争の場が移動するということです。

 至って単純な、発想でしょう。


 外感病の場合(特に風寒の邪)、背部兪穴(上の後ろ)から最終的に下腹部(前の下)に伝変していきます。

 従って内傷病の場合は、逆の伝変ルートに従って正邪が移動することになります。

 つまり内傷病は、まず腹部に邪が現れ、腹部の邪は上に向かう傾向にあるということです。

 さらに病の進行と共に邪は腹部深部に沈み、背面に移動するということです。

 
 たとえば自分の能力を超えて食べ過ぎたとします。
 
 すると当然、腹部の中脘から不容あたり、もしくは季肋部に邪が現れますよね。

 これがすぐに解消されなければ、時間の経過と共に腹部の邪気は上に残り、次第に沈んで背部兪穴に向かうことになります。
 
 現れやすい穴所としては、季肋部→膈兪付近を中心に邪が浮いてきます。当初は実の反応です。
 
 単純な熱邪であればそのまま背面から抜けて行くのですが、陰邪も一緒になって膈に迫った場合、抜けることが出来ずに、居座った邪が正気を損い、背部兪穴に浮いてきた邪は、再び沈んで行くことになります。

 正気が衰え深刻化すると、病邪は腹部にも背部にも行くことが出来ず、身体中心部に居座ることになります。

 切診所見では、腹部に邪を捉えることが出来ず、背部兪穴は虚の範囲が大きくなる傾向にあります。

 このような状態のものに、湯液家は背部兪穴の虚の部分に施灸して腹部に邪を浮かせ、その上で腹証に従って証を立て、駆邪するという手法が取られています。

 鍼灸家の場合、督脈などを使って強力に邪を背部に浮かび上がらせ、そのままダイレクトに瀉すか、背部兪穴に浮いてきた邪を手足に引いて瀉すという発想が生まれます。
 
 このように考えると、今度は腹部の上下・左右の気の偏在を来す要因(認識論)と、切診によって得られた背部兪穴の上下・左右を照らし合わせ、さらに中心となる穴所の虚実の状態から、病の新旧、病の過去・現在が見えてきます。

 どうでしょう、何となくイメージが湧きますでしょうか。

 言葉にすると、どうしても難しく感じてしまう傾向があります。

 図解にすれば、もう少し分かりやすいかもしれません。

 一読してピン!と来られた方は、イメージ・連想しながら作図してみてください。

 実際、イメージ・連想でつかむことが出来ると、意外と簡単なことです。

 難経の言わんとすることは 陰病行陽. 陽病行陰. 』 だけです。

 そしてこれを、実際の臨床に当てはめて診るだけのことなのですから。
 

 一の会
 
 
 
 

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