ここでは、腹部募穴と背部兪穴の違いを明確にし、臨床応用に役立てることをコンセンサスとして書きます。
まず大極両義の陰陽関係から説いていきます。
<淮南子・天文篇>では、天地創造について述べられていますが、その一節が重要ですので、記載しておきます。
清陽者、薄靡而為天、重濁者、滞凝而為地。
『清陽なる者は、薄靡して天と為し、重濁なる者は、滞凝して地と為す。』
※「靡」ビ;なびく。外から加わる力に従う。
そして<素問・陰陽応象大論>では、さらに人体の生理に相関させ、以下のように論じています。
故清陽爲天.濁陰爲地.
地氣上爲雲.天氣下爲雨.
雨出地氣.雲出天氣.
故清陽出上竅.濁陰出下竅.
清陽發腠理.濁陰走五藏.
清陽實四支.濁陰歸六府.
『故に清陽は天と爲し、濁陰は地と爲す。
地氣は上りて雲と爲し、天氣は下りて雨と爲す。
雨は地氣より出で、雲は天氣より出ず。
故に清陽は上竅に出で、濁陰は下竅に出ず。
清陽は腠理に發し、濁陰は五藏に走る。
清陽は四支を實し、濁陰は六府に歸す。』
天地創造も、このようにして出来上がったのであり、素問ではこの原理を用いて、人体の生理を説いているのです。
つまり上焦の状態は、下焦の反映であり、下焦の状態は、上焦の反映であり、中焦は上下焦の気の交流の反映であるということですね。
これが上は下に取り、下は上に取るという取穴の基本的な原理になります。
濁陰が聚る前胸腹部には、募穴が存在します。
しかも脾は土性で五方では中央であるにもかかわらず、章門穴は脇に存在しています。
八卦を当てはめてさらに詳しく考察してみます。
これは坎水・腎の中央の一陽の昇る作用を受け、さらに震雷・肝の底辺の一陽と
相まって、章門穴から肝募である期門穴を通利して天蓋である肺に注ぐことが分かります。
脾の生物的な機能は、肝腎の陽気の盛衰に関わってくることが理解できると思います。
ただし、人間は単に生物として存在しているのではなく、心神が他の生物と大きく異なることは意識しておいてください。
このことが理解できるだけで、章門穴の性質と使い方がかなり明確になってくると思います。
募穴には、100%濁陰が集まるのではないですが、陰>陽という図式が描けると思います。
そうしますと、募穴は濁陰の邪を瀉すことに適していることが分かります。
また本来、陰>陽であるはずの募穴の反応が、相対的に陰<陽過剰であれば、どのような現象が起きてくるかもまた、お分かりいただけると思います。
陰邪を伴った、激しい衝逆症状が生じます。
次に、募穴の臓腑虚実の診断的意義です。
胃募・中脘穴を例に上げますと、ほとんどの臓腑経絡が流注しています。
濁陰なのですから、いろんなものが入り混じっていて当然な訳ですが、これによって理解されるのは、募穴によって臓腑の診断は確定できないということです。
では、肺募中府穴はどうなのかと考えますと、やはり足太陰脾経が流注しています。
そもそも、手太陰肺経は中焦・中脘穴から始まり中焦の気を受けて機能することが出来るのであり、募穴の穴名も、中府=中焦の腑気の集まる所という意味からも、明確な訳です。
ですから、痰の絡んだ急性の実喘にたいして、中府穴に瀉法を加えると標治であっても即効があります。
ただ、心・肝・脾・腎などの他臓との関係性と病理を明確に出来ないと、根治させるのは困難になることも同時にお分かりいただけると思います。
濁陰ですから、複雑に絡み合ったものが募穴に現れるからです。経絡流注の観点から見ても、同じことが言えます。
またさらにこのような考え方を押し広げて、なぜ上焦に位置する心の臓の募穴・巨闕が中焦に在るのか。
なぜ中焦に位置する肝の臓の募穴・期門が上焦に位置しているのかなど、これらの矛盾が解ければ、さらに見えてくる世界がありますので、色々と連想して自分なりに意味付けをして頂けたらと思います。 ですので、募穴で臓腑の虚実を計るなどという教科書的なことは、使えないということになります。
たとえ大家の記すことであっても、なにごとも鵜呑みにせず、ひとつひとつ自分で検証していくことが、臨床家への道だと思います。
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