数年間、「いおり健康教室」で、呼吸法を行っているうちに、意識的に呼吸をしようと思っても、息がスムーズに入ってこないと訴える方を多く目にするようになってきました。
これもまた、さまざまな理由と原因があるのですが、共通していることは、緊張が解けないことに起因しています。
日常があまりに忙しく過ぎていくために、自分が触れたり体験したことが、あまりにも意識化されていないのです。
意識的には、心はそんなに負担を感じておらず、引っかかりも感じていないのですが、体調が悪い・・・
患者さんの身体に触れ、身体の状態を通じて会話をしていくうちに、実は心に大きな負担や衝撃を抱えていたり、わだかまっていたりしていることを数多く目にしました。
感じているのですが、意識化されない。 実はこれ、危機的状況なのです。
感じている以上、身体は相応に反応しています。
心のセンサーが、混線して麻痺している状態です。
半覚醒で、生きている状態と変わらないのです。
心のセンサーが、混線して麻痺している状態です。
半覚醒で、生きている状態と変わらないのです。
ここに気づかないまま過ごし、一生懸命に取り組み、生きていながら、「こんなはずではなかったのに」という状況に追い詰められます。
さらには、いつのまにか身体の不調や病となっていることに、気づかない人が圧倒的に多いのです。
さらには、いつのまにか身体の不調や病となっていることに、気づかない人が圧倒的に多いのです。
皆様、病は突然なるものではありません。
そこに至るまでに、日常の細かな様々なことが積み重なって、病的状態に陥るのです。
毎日毎日の、些細な事にまできちんと感じて対処できる、鎮まった心の感性がとても大切です。
呼吸法は、簡単に過ぎますが、酸素を取り入れるという以上に、自分の想いを実現するために非常に大切なものです。
同時に呼吸法だけでなく、心を鎮め、自分と向き合う機会が是非とも必要であると、痛感するようになってきました。
同時に呼吸法だけでなく、心を鎮め、自分と向き合う機会が是非とも必要であると、痛感するようになってきました。
日常の臨床で、各人に会話を通じて伝えてきましたが、限られた時間内で多くをお伝えするには限界があります。
そこで呼吸瞑想会を開催しようと思い立ったのです。
そこで呼吸瞑想会を開催しようと思い立ったのです。
現代人は、「いそがしい」と口にする人が、大変多い。
実は筆者もその一人ですが、いつの間にか細かな雑務に取り紛れ、心が濁ってしまっている・・・
多忙であるからこそ、心を鎮め、心の濁りを清め、「いま・ここ」の自分と向き合う時間が必要です。
心は、船でたとえると船長です。
感覚は、コンパスです。
感覚は、コンパスです。
船長が異常を察知できず、壊れたコンパスで、ただむしゃらに人生海路を進むだけでは、船体は傷み、燃料も尽きてしまいます。
「いま・ここ」の自分は一体、どのような状態で、どこへ向かおうとしているのか。
思考を停止して、自分の身体と心を、ただ坐ってじっと感じて観る。
先ずは筆者自身が、坐禅と取り組むこととなったのです。
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