第二章では、あらゆる病で治癒しないものについて述べています。
東洋医学の世界では、生長化老死という人間の誕生から死までのサイクルを表してます。
つまり
死は必ず訪れる
という大前提を全面に出し、それを認識することから養生や病について語っています。
なぜこれが二番目に来るのか。
永遠に存在するものは大切さを忘れがちですが、この世に永遠に存在するもの等ないという事を大前提にしないと、長い年月生きていると忘れがちになるからです。
身体という本来壊れやすいものとともに生きているにも関わらず、ぞんざいに扱えば故障するのは当然です。
ここでは、医門方、葛氏方、史記の扁鵲倉公列伝、本草経から引用し、具体的な症状から見える死期も書かれていますが、興味深いのは腫の五不治と六不治として不治を概括した葛氏方と扁鵲倉公列伝です。
葛氏方では腫の五不治
「腫には五不治というものがある。顔が腫れ、青黒いのは肝の敗れであり、不治
掌が腫れ筋が無く、膨れているのは心の敗れであり不治
臍が膨れ、腫れて反り曲がっているのは、脾の敗れであり不治
腹が膨れ、すじめの見えないものは、肺の敗れであり不治
陰茎が腫れて勃起しないのは腎の敗れであり不治」
扁鵲伝の六不治
「おごり高ぶり、勝手なことばかりして、正しい道理を考えようとしないのが第一の不治
身体を軽視して、お金を重視するのが第二の不治
衣食が適当でないのが第三の不治(千金方では医療の適不適)
陰陽の気が不安定で、内臓諸器官が順調な働きをしないのが第四の不治
身体が弱って薬を服用することができないのが第五の不治
巫を信じて医師を信じないのが第六の不治」
特に、扁鵲伝では治療によって不治が分かるのは第四、第五の二つだけで、その他は本人の日頃の心構え、信条、養生などが深く関わっています。
当時の人々はそこまで深く人間を見つめ、治療を行っていた事が分かる章です。
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