医心方は、中国皇帝一族の末裔が、渡来して帰化し当時のあらゆる治療法、養生法を纏めた物であるという事は前回書きました。
序文では、天皇に献上された後、日本の戦国時代頃に正親町天皇が病に倒れ、医療の家系としてはライバルに当たる和気家の系統(当時半井家)が治療に奏功した為に、医心方は半井家に下賜されていたことが書かれています。
ここで、丹波家の系譜である多紀家は医心方を自家の手に戻したいと色々な所を探したが、満足に保存できているところが無く、唯一残っていた仁和寺も半分くらいしか残っていなかった為、其の全貌を知ることができなかったが、半井家にあることが分かり、その鴻宝を一時借りて江戸医学館が抄写したことが書かれています。
多紀家の感慨の深さは序文の最後に書かれていますが、数代に渡って抄写した志も、蘭学が輸入され始め、東洋医学の再興に心を砕いたものと考えられます。
千金方、外台要方等の書の整理の仕方を模倣していることも文中には書かれていますが、良い所は積極的に導入し、より良い物に改変するところは、日本人の伝統でありここにも受け継がれていると考えて良いと思います。
ここで一番筆者の心に残ったのは、この言葉です。
「その医の道を訪ねる事は、幽玄にして微細なものであり、必ず往年の聖人や賢人の言葉を胸に秘め、色々な偉人の良い言葉を教えとし、それらと現在の病の傾向、風土の特徴を合わせて考慮して始めて基本が備わったことになる。
今までの書の中では王燾の著した外台要方だけであるが、医心方はそれよりも素晴らしい書となっている。」
実際に、当時(982年)までに存在した医学書、道教、仏教などあらゆる生命に関するものから抜粋し、しかも出典を明らかにしていることは、様々な逸書遺典に対する尊敬の念を現しています。
その上で、巻・論の構成を審らかに読み解いていくことが現代の志を一つにするものの使命と感じさせられます。
医心方 第一巻は題名はついていませんが、治病大体第一、諸病不治証第二、服薬節度第三、服薬禁忌第四、服薬中毒方第五、合薬料理法第六、薬斤両升合法第七、薬不入湯酒法第八、薬畏悪相反法第九、諸薬和名第十と十篇の構成となっています。
この順序で少しずつご紹介していく予定です。
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