3段目は、天・人・地の三才、人位に相関させてみました。人体にあっては、中焦の肝と腗の臓が相関されます。
三才思想については、下記をご参考になさってください。
以下に、上古天真論全文の原文と読み下し文・意訳のリンクを貼っていますので、ご参考になさってください。
解説
この3段目には、真人・至人・聖人・賢人の4段階の人のありようが示されています。
実際にこのような人がいたのかどうかは別として、人としてのありようの理想像が述べられていると受け止められます。
真人・至人は、世俗を離れて山を渡り歩く、いわゆる仙人を思わせるような存在です。
そして時代が下がり、聖人・賢人となると世俗の間に身を処しながらも、四季陰陽の盛衰に寄り添いながら、身体的には欲を過ごして働きすぎず、精神的には、思い煩うことなく日々を楽しむようであったと述べられています。
このようなこと、簡単なことのようですが、いざこれを実際に日々の暮らしの中で行おうとすると、かなり難しく思われるのではないでしょうか。
天地の気の交流の間に、人は生きています。
天が乱れれば、人・地も大いに乱れますし、天地の交流に異変が起きれば人にも異変が起きます。
大きくは自然と人とのかかわり。
小さくは自分の内なる自然とのかかわり。
しっかりと大地に足をつけることは、自分の臍下丹田に気を集めることと同じです。
この世で生きていることの意味。どんなことをミッション(天命・この世の役割)として生きているのか。
こういったことを自らに問いかけざるを得ないような気持になります。
このように自分の中の天地を明確にすることで、充実感あふれる人生が営まれると筆者は思い至っております。
上古天真論 3段目 原文と読み下し文
黄帝曰.余聞上古有眞人者.提挈天地.把握陰陽.呼吸精氣.獨立守神.
肌肉若一.故能壽敝天地.無有終時.此其道生.
黄帝曰く。余は聞くに上古に眞人なる者有りと。天地を提挈(ていけい)し、陰陽を把握し、精氣を呼吸し、獨り立ちて神を守る。
肌肉は一の若し。故に能く壽(よわい)天地を敝(おお)い、終わる時有ること無し。此れ其の道に生ればなり。
中古之時.有至人者.淳徳全道.和於陰陽.調於四時.去世離俗.積精全神.
游行天地之間.視聽八達之外.此蓋益其壽命.而強者也.亦歸於眞人.
中古の時、至人なる者有り。淳徳にして道を全うし、陰陽に和し四時に調(ととの)う。世を去りて俗を離れ、精を積みて神を全うす。
天地の間を游行し、八達の外を視聽す。此れ蓋(け)だし其の壽命を.益して強き者なるも、また眞人に歸す。
其次有聖人者.處天地之和.從八風之理.適嗜欲於世俗之間.無恚嗔之心.行不欲離於世.
被服章.擧不欲觀於俗.外不勞形於事.内無思想之患.以恬愉爲務.以自得爲功.形體不敝.精神不散.亦可以百數.
其の次に聖人なる者あり。天地の和に處し、八風の理に従い、嗜欲は世俗の間に適い、恚嗔(けいしん)の心なく、行は世を離れるを欲せず、
服章を被り、擧は俗に観られるを欲せず、外は事に形を労せず、内に思想の患い無く、恬愉(てんゆ)を以て務となし、自ずと得るを以て功となし、形體は敝(やぶ)れず、精神は散ぜずもまた百を以て數うべし。
其次有賢人者.法則天地.象似日月.辯列星辰.逆從陰陽.分別四時.將從上古.合同於道.亦可使益壽.而有極時.
其の次に賢人なる者あり。法は天地に則り、象は日月に似(かたど)り、星辰を辯列(べんれつ)し、陰陽に逆從し、四時を分別し、將(まさに)に上古に從って、道に合同せんとするも、また壽(よわい)を益さしめ、しかして極る時有り。
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