花火の頃を思い出す・・・ |
存在に対して陰陽は便宜上、可分して認識するが、実際的には不可分であり不離決である。
例えば、太極としてみれば人類は消長を繰り返しながら増減している。陰陽両儀を可分してみれば、個々の人間は産み育て、そして死んでいく。
死は陰陽が離決した姿であり、陰陽が互いに交流しなくなり、互いに孤立した状態である。
振り子の円運動を例にすると、遠心力(陽)と向心力(陰)で釣合っているが、糸が切れてしまうと陰陽は交流できなくなり、運動は停止する。 図 12
図 12 |
人間が立って歩くことができるのは、構造体としてよりむしろ陰陽の気が交流し運動している姿として捉える。 図 13のコマがその例である。
そして死は、図 14のようにコマ=物体=陰気だけが残り、陽気が無い状態である。
図 13 |
人体にあっては、陽気が散じてしまい陰気が孤立して生命現象が消失した状態である。
図 14 |
陰陽の軸を気血に定めると、気は熱・動(陽)、血は寒・静(陰)であり、気が散ってしまう亡陽、血
が尽きてしまう亡陰となると、相互に資生しあう関係が保たれなくなり、陰陽離決となり生命現象は
停止する。
陰陽離決には、2つのパターンがある。
「陰盛格陽」 (インセイカクヨウ・陰が強くて陽と交流できず、隔てられ離れてしまう)
「陽盛格陰」 (ヨウセイカクイン・陽が強くて陰と交流できず、隔てられ離れてしまう)
「陰盛格陽」とは、鍋の水が多くあふれてしまい、ガスコンロの火が消えようとしている状態を、
「陽盛格陰」とは、ガスコンロの火が強すぎて、鍋の水が無くなった状態である。
さて、これまで陰陽について論じてきたが、最後に明の張景岳(1563-1640)の著書から一文を引用して、陰陽論の括りとする。
どのような事も、理を離れることはできない。
医学においても、理は最も大切なものである。
これを拡大すれば、理は森羅万象のすべてにあらわれ、これを収斂すれば理は一心に帰す。
医学の根本は、この一心にあり。
病気は、この森羅万象にあたる。
病気の種類が非常に多いということに把われると、医学の道を行ずることは非常に困難にな
る。
しかし、いかに病気の種類が多いといっても、それぞれの病人が罹っている病気の根本は一つ
である。
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