ブログ「鍼道 一の会」

四時と人間の相関― 4.冬ー蔵

冬 鳥たちはどのように過ごしているのだろう

 4.冬ー蔵

 冬の季節、すなわち立冬から立春までの3ヶ月を、古来これを閉藏(へいぞう)と言います。秋に収穫したものを、蔵の奥深くにしまい込み、堅く門戸を閉ざすという意味です。

 虫もカエルも熊も土中に潜り、草木もまた葉を落として静かに春を待つイメージです。

 冬の自然界は夏と正反対の陰気=寒気が支配し、万物は動きを止め、静かに来るべき春を待つ時期です。

 一日の内では、心も体も動きを止め、安眠の時間帯に相当します。

 気持ちもまた内向きにして、来年の計画などをゆっくり穏やかに、じっくりと温めるようなイメージです。

 古典には、イメージしやすいように以下のように記されています。

 <自然界は寒気が支配するので、水は凍りつき大地は亀裂が生じる。

 このような時期は、激しく動いて発汗するなどして、身体の陽気を乱すようなことがあってはならない。

 この時期は、早寝遅起きし、必ず太陽の陽気が天地に生じ始めてから起きるようにする。

 精神的には、積極的・能動的になるよりも、むしろ思ったり考えたりしたことを隠したり、しまい込むような心持が良い。

 また望み事や欲しいものがあっても、既に望み事が叶っている・手に入っているかのように満ち足りた気持ちで過ごすのがよい。

 そしてすべて内部に秘めるような、内に向かうような心持で過ごすのが理に適っている。

 肉体的には、寒さを避けて保温に心掛け、労働や運動などによって皮膚から汗を発し、陽気を奪う(漏らす)ことがあってはならない。

 つまり、種のように堅く殻を閉じ、春の発芽に備えて精気を内部に充実させるのが、冬季の過ごし方の法則である。>

 冬の過ごし方のポイントは、すべて内にしまい込んで鎮まるイメージです。 図1-4


図 1-4
 人間の生命は、陽気の存亡がカギを握っているので、この時期においては陽気を温存させることがポイントになります。

 脈診においても、肌表の気が身体内部に入るので、冬の脉もまた沈んで固く感じるようになります。

 この時期、温まろうとして岩盤浴・サウナ、過度な運動などは、汗と共に陽気を散じて往々に気虚を起こして気がつかない場合があります。冬の運動は、体が温まる程度にするのがよい。

 「一気滞留論」を唱えた江戸期の医師、後藤艮山(1659-1733)が好んで用いた温泉療法は、瀉法に相当することに留意して養生指導を行います。(温補も過ぎると瀉法に陰陽転化する)


【身体に現れる変化】

 身体の変化としては、秋の過ごし方が冬になって表面化します。

 秋に身体の陽気が十分に収斂していないと、冬季の冷え症は深刻なものになり、寒気の起伏に従って症状も変化します。


 陽虚が深刻な場合は、夜明け前に未消化下痢を来しやすくなります。(鶏鳴下痢)

 植物の種は冬の間も生きており、春を待ちながらじっと動きを止めている。


 ところが冬に発芽すると春になって萎えてしまうように、春のうつ病、手足の軟弱無力・マヒ性疾患、足腰の障害などは、冬の過ごし方に留意することが必要です。

 また果物・野菜ジュース・牛乳などの飲料、果物などは、たとえ温飲であっても性質は陰気であるため、過剰に体内に水分(水邪)を貯留させる。

 また肉・油もの、餅、酒などの熱性のものを過食すると、湿熱の邪となり、やはり体内に貯留する。

 冬の寒気で動きを止めていた水邪や湿熱の邪が、春の陽気で一気に動き始めると様々な免疫疾患を来すことを治療者は十分に理解して生活指導を行わなければならない。

 さらに、冬は年末年始に当るので、脾胃を傷害して様々な邪気を体内に生じ、正気虚邪実となり、これが春になって表面化し、様々な疾患を引き起こすことも熟知しておくことが必要である。

 四季のまとめ

1.発病は、前の季節の生活の誤りの結果であり、ひと季節遅れて表面化する。

  たとえば、春に体調が悪い・発病するのは、冬の過ごし方に問題がある。春の花粉症も、アレルギー反応という視点とは異なる東洋医学的の目で見て頂くと、問題解決につながります。


2.自然界の気の状態と、人間の精神状態とを調和させる。

  夏は遠心性・発散。冬は求心性・収斂。

3.暑さ・寒さを嫌わず、夏は適度に発汗して涼を求め、冬はしっかり陽気を温存しながら温を求め

  る。

  暑い時には、暑いように。寒いときには、寒いように。うれしい時には、うれしいように。悲しい時
  には、悲しいように。

3.太陽の動きに合わせて、寝る時間と起きる時間を調える。

  万物は、日の出と共に活動を始め、日の入りと共に行動を終える。

4.自然界の現象と自分の心身を、よく観察すること。


  人間は、自然の子供。

5.未病治の知識を身につけること。


  誰もが望む健康な生活。その実現の鍵は、極めて簡単で、しかも足元にあります。

 自然に寄り添って生きるとは、天池陰陽の変化に従い、自らの心身もまた同調し、自然の変化を感じながら生きることです。

 最後に、<素問・四気調神大論>から一文を引用して、本編の括りとします。

 聖人は、すでに病気になってしまってから治療しようとするのではなく、まだ病気になる前に治めるものである。

 すぐれた政治家が、世がすでに乱れてしまってから治めるのではなく、乱れる前に、未然にこれを察知して治めることが出来るのは、この法則に法っているからである。

 すでに病になってしまってから、薬を処方したり治療を施すのは、世が乱れてしまってからこれを平定するようなことである。

 このあまりに遅く、しかも愚かであることを例えるなら、あたかも喉がカラカラに乾いてしまってから、井戸を掘るようなものであり、また戦争が始まってしまってから、あわてて兵器を作ろうとするようなものである。

 なんと! もう手遅れではないか!!

原文と読み下し <素問・四気調神大論> 抜粋

是れ故に聖人已(すで)に病みたるを治せず、未だ病ざるを治す。

已(すで)に亂(みだ)れたるを治せずして未だ亂(みだ)れざるを治すとは此を謂うなり。

夫れ病已(すで)に成りて後これに藥し、已(すで)に亂(らん)成りて後これを治むるは、

譬(たと)えば猶(なお)渇して井を穿(うが)ち、鬪いて錐(すい)を鑄(い)るがごとし。

亦晩(おそ)からずや。

是故聖人不治已病.治未病.不治已亂.治未亂.此之謂也.


夫病已成而後藥之.亂已成而後治之.

譬猶渇而穿井.鬪而鑄錐.不亦晩乎.

 一の会

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