元代表 現理事・相談役 : 金澤 秀光(一の会鍼灸院・院長)
医療界は、洋の東西を問わず、時代の要請に応えるべく発展を続けております。
「鍼道 一の会」では、その発展の一翼を担うべく、伝統医学を足掛かりとして、現代における「気の医学」を一貫して追究しております。
時代は、単に病を治すことにとどまらず、病から「人生における気づきと学び」を得て、より良く充実した人生の歩みへとつなげて行くことを求めていると感じております。
「鍼道 一の会」での必須の学びは、東洋医学の世界観・人体観を意識の礎にすることです。
それは取りも直さず、大自然と人間は一体であることを知ることであり、自然界の様々な「気」の変化とともに人間の「こころ」と「からだ」と「たましい」もまた一体となって移ろう。そのような視線を太極とすることでもあります。(天人合一思想)
鍼灸医学においては、鍼や灸を『気を動かす道具』として直接肉体に働きかけますが、それは同時に「こころ」と「たましい」に新たな気の流れを生じる(=神気が動く)ことを意味します。
神気が大きく動けば、眼前の世界が一変し、病はおろか人生そのものが一変します。
移精変気の法は、伝統医学の真骨頂でもあります。いわば、道術=方術としての鍼灸医学を追求します。
治療者とは、単に病気治しの職人ではありません。治療者・患者相互の境界線を越えた「生き方」の問題としてじっくりと病に取り組み、結果として病を治すだけでなく生き方をも高めて行くことが出来る人間であると考えています。
志あるみなさま、共に手をたずさえて、この鍼の道を歩みましょう!
金澤 秀光先生 略歴
1958年生まれ おとめ座 AB型。 | |
1980年 | 大阪経済大学経済学部を卒業。 |
1985年 | 「漢方 瑞祥庵鍼灸院」中江道博先生に弟子入り。 東洋医学の聖典「黄帝内経 素問・霊枢」、漢方薬の聖典「傷寒論」の世界に初めて触れる。 |
1988年 | 大阪鍼灸専門学校(現・森ノ宮医療学園専門学校)を卒業。 鍼師・灸師免許を取得。 |
1989年 | 郷里・兵庫県福崎にて「心身総合治療所 逢祥庵」を開院。 |
1992年 | 父の死をきっかけに、自分の医術の拙さを痛切に実感。 藤本蓮風先生が主宰する「北辰会」に入会。中医学に初めて触れ、その理論性・整合性に感動。同時に、改めて古典の読み方を教わる。 |
1993年 | 「藤本漢祥院」研修生として入門。 |
1995年 | 阪神大震災を機に「藤本漢祥院」での研修を終了。 |
1997年 | 十二指腸潰瘍穿孔を病むが、手術を拒否。この時に臨死体験をする。以後、人間は「心と身体と魂」の存在であることを実感。 |
1998年 | 長年お世話になった「北辰会」を退会。以後、独学の道を歩む。 |
2005年 | 遠方から来院される方が増加し、本院治療の傍ら新大阪のマンションの一室に分院を開設。 |
2006年 | 臨床に携わる中で感じたことを、より多くの人に伝えたいとの思いから、悩み抜いた末に郷里の本院を閉院。心機一転「いおり鍼灸院」と改名し、大阪淀川区で開業。 |
2010年 | 大阪医療技術学園専門学校 東洋医療技術教員養成学科にて伝統鍼灸技術の非常勤講師として奉職。 |
2014年~ | 「一の会」を立ち上げ、東洋医学の奥深さを伝えていくと同時にその担い手を養成すべく活動を開始。 (2016年より活動名を「鍼道 一の会」とする) |
学生の頃より中国最古の医学書『黄帝内経 素問・霊枢』の世界観に魅了される。
長年培ってきた”五感を駆使した診断”と”最もシンプルな素手の治療”にこだわり、「心は安心を、体は充実を、魂は感動を志向する」をモットーに患者さんのお話にじっくり耳を傾け、心と体の関係を常に意識しながらひたすら臨床を積み重ねる。
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