今回のテーマは五節句最後のお節句、「重陽の節句」です。
9月9日は「9」が重なるということで、重なる九、「重九(ちょうく)」ともいわれたそうです。
また、庶民の間では、「菊の節句」としても親しまれてきました。
この「重陽」、「陽を重ねる」と書きます。
陰陽論にもとづきますと、「奇数が陽、偶数が陰」です。そして、奇数の一番大きい数字は「9」ですので、この日は、「陽の最大数が重なる日」となります。
そのため、9月9日は、めでたい反面、「陽極まれば陰に転じる」ことから、邪気祓いをする節句と定めて、不老長寿や繁栄を願うようになったのがはじまりといわれております。
もちろん、他の節句と同様、「季節の変わり目に体調に気をつけましょうね」という養生のための日でもありました。
旧暦の9月9日は、2021年では10月14日にあたります。10月中ごろということで、昔はちょうど、晩秋の頃、菊の花がきれいに咲く頃合いの行事でした。
しかし、今の9月9日は、どちらかというと、夏の気配が濃く、まだまだ暑い盛りですので、正直なところ、菊の花のイメージは薄いかもしれません。
旧暦が新暦に替わり、「菊の節供」は次第に廃れていったようです。
さて、いつものように24節気(にじゅうしせっき)にもあてはめてみましょう。
暦の上で秋がはじまる立秋が8/7、暑さの和らぎはじめる処暑が8/23、草花に朝露が結びはじめる白露が9/7、昼夜が等しく訪れる秋分が9/23~と区分されております。
9/9はちょうどこの白露のあと、秋分の手前になります。
ちょうど残暑と呼ばれるのが、この立秋~白露の頃といわれますので、「夏から秋に入って、なお暑さが残る季節」が終わり、重陽の節句を境に、少しずつ秋の気配が深まり、冬へと近づいていくといったところでしょうか。
季節の変化を、人体と外気のベクトルでイメージします。
夏は、成長化収蔵の「長」 外へ外へと発散するイメージ、外界で強まる陽気の影響を受け、身体の上下のベクトルもまた、上へと登りやすくなるイメージです。
ここから秋へと季節はうつりかわります。
秋は成長化収蔵の「収」、「おさめる」という漢字のとおり、夏は外を向いていたベクトルが、内向きへと変わります。
外気のベクトルも上向きから下向きへと変化します。
※ 季節の過ごし方については黄帝内経の「
2.四気調神大論 – ブログ『鍼道 一の会』 をご覧になって下さい。
まずは重陽の節句の起源からみていきましょう。
起源は中国の重陽節。正式に行事として記されているのは漢代の頃といわれています。
古来中国の重陽の日には、禍が起こるという故事があり、菊花(きっかしゅ)酒、シュユ酒……ここらへんはあとから説明させていただきますね。
あとは、登高(とうこう)…高いところに登れば、「ちょうく」の禍(わざわい)を逃れられるという民間伝承がありました。
登高(とうこう)は、「登る(のぼる)」に「高い」、とかきます。こちらも、中国に古くからある風習で、中国の古い詩歌などにでてきたりするものです。
※ 登高(とうこう)
1 高い山などに登ること。
2 中国で、陰暦9月9日に、厄(やく)を払うために、高い山に登って菊酒を飲む風習。 (小学館、デジタル大辞林)
旧暦の重陽節はちょうど紅葉の美しい季節です。自然を一望し、その場と一体化することで、自然の力を感じる、自然の力をいただく、そこでお酒を飲んだり、お弁当を食べましょう、というのは、お花見や紅葉狩りに通じるような感覚もあったのではないのかなあ、と思いました。
また、易でいう、龍が上り詰めて、降りてくるという陰陽の過程をなぞらえる意味あいもあったのかもしれません。
他には、先日、金澤先生がおっしゃっていたのですが、秋という季節、五蔵では、身体の一番高いところにある臓、肺の季節になりますので。
それを当てはめた可能性もあるのかもしれません。
重陽が菊の節句となった起源についても諸説あります。
中国には古くから、菊の花が邪気を祓うという菊花信仰がありました。
「菊水」や菊慈童(きくじどう)伝説などによるものといわれています。
行事として、日本に伝わったのは、奈良~平安時代初期。貴族の宮中行事として取り入れられました。重陽の節句とともに、中国から伝来した菊の花を愛でつつ、菊酒を酌み交わす、「観菊(菊花)の宴」です。
もともと菊の花は日本にはない外来種です。(万葉集に菊の歌はないそうです。)
菊の花を目でみて楽しんでいた一面もあったのだと思います。しかし、もともとの目的は、お薬として扱われていた植物なのだそうです。他にも、梅や朝顔、茶の樹なども、もともとは、薬効があるために輸入された、貴重な植物だったようです。
重陽の節句の風習については、他のお節句とは違い、あまり馴染みがないものが多いかもしれません。
「菊酒(きくしゅ)」「菊枕」「被せ綿(きせわた)」「茱萸嚢(しゅゆのう)」菊の節句といわれるだけあって、菊に関するものがたくさんありました。
例えば、「被せ綿(きせわた)」「被せる(かぶせる)綿(わた)」と書いて、「きせわた」とよみます。これは、8日の晩に、菊の上に綿を帽子のようにかぶせておいて、9日に菊の夜露を含んだ綿で肌を拭くと若返るといわれ、無病息災と長寿を願うというものです。
白い菊には黄色の綿、黄色の菊には赤い綿、紅色の菊には白い綿をかぶせる、という決まりごとがあるそうですが、のちには、綿の上に更に小さな綿をのせて、雄しべの色も加えるようになりました。
(白い菊→黄色の綿、紅の雄蕊)(黄色い菊→紅の綿、白い雄蕊)(紅色の菊→白い綿、黄色の雄蕊)
これは、五行が関係してるのかな、と思われるところです。
五行(木、火、土、金、水)の色は 青(葉)、赤、黄、白、黒(水)
ちなみに、いけばなでは、9月9日にちなんで9本の菊で生けるそうです。色は、上から白、黄色、赤で、青は葉っぱです。
黒は五行でいう水に属しますので、花器の水、もしくは黒い台という決まりごとがあるそうです。秋の肺、からはじまって五行の順にになっていますね。
そして、「茱萸嚢 」。 「茱萸(しゅゆ)」、これは漢方にも用いられるゴシュユ説とサンシュユ説、他にカラスザンショウ説など諸説があるようです。これは、古代中国の故事にある、茱萸の実を入れた赤い袋を身に着けたり、茱萸の枝を腕肘に巻くか、もしくは頭に挿して、高い山や丘に登り、酒に浸してをのむと邪気を祓い、災いを逃れる、という重陽節の風習が元となっています。
これが日本に伝わり、宮中の「御帳台(みちょうだい)」の柱に、「茱萸嚢 (しゅゆのう)」、として、飾られるようになりました。
端午の節句のときに、薬玉を飾る、ということをお伝えしたのですが、端午の節句から重陽の節句までは、菖蒲と艾で作った薬玉を掛けていて、重陽の節句から翌年の端午の節句までは、この呉茱萸と菊や菊の被せ綿を入れた赤い袋、茱萸嚢を掛けるのだそうです。
さて、最後に、この季節の外邪の様子をみてみましょう。
(※ 目安として、気象庁による秋の区分は、9月から11月までになります。)
残暑が、立秋から白露まで、となりますので、このあたり時期については、暑邪の影響が強いといえます。
また、重陽の節句はちょうど、白露の後あたりですので、秋の中でも、ちょうど気温が低下し、朝には露が結ぶ頃合いです。秋から冬へと切り替わるとともに、寒邪の影響が色濃くなります。
また、秋は、爽やかな秋晴れの過ごしやすい季節でもありますが、燥邪との関わりが深い季節でもあります。他方、台風や秋雨に対する、湿邪に対する注意も必要です。
まとめますと、前回と同様、暑さで腠理が開き、汗とともに気虚傾向になったところに、風寒邪が忍びよるパターンは避けたいところです。
補気しつつ、冷やさない。内熱傾向の有る方は、より燥邪の影響を受けやすい季節といえます。
ゆえに、滋陰・清熱。このあたりは、患者さんの素体に合わせた養生が必要かと存じます。湿痰がある方は、台風が来ると体調を壊しやすいかもしれません。
他の季節と同様、お腹の調子は整えておきましょう、ということで、健脾化痰しつつ、肺気の養生もお忘れなく。
五節句のお話は、これで一区切りとなります。
貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
【文責:川村 淳子】
コメントを残す