【文責 川村 淳子】
今回のテーマは5月5日、「端午の節句」についてです。
「端午の節句」の起源は「端午節」という、中国の行事です。
端午という文字を分解してみますと「端」=「端っこ」=「端め(初め)」、そして「午」=十二支の「午(うま)」を意味します。
また、「午」は数字の「5」とも同じ発音です。
つまり「端午」とは、もともと「月のはじめの午(うま)の日」のことで、古くは5月以外の月の5日にも使われていたそうです。
陰陽思想の「陽」である奇数が重なった日を選び、陽が陰に転じることを避ける「避邪」の思想が加わり、季節の変わり目に旬の植物から生命力をいただき、邪気を祓うという「節句」の行事が行われるようになった、というところは他の節句と同じ流れになります。
古来中国ではこの日に菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)などの薬草を摘んだり、蓬で作った人形(ヒトガタ)や飾りを家や門に飾る風習があったようです。
また、菖蒲湯や菖蒲酒を飲んで邪気を祓い、季節の変わり目の体調不良に備えていました。
この風習が平安の頃、日本に伝わり、貴族から民間に浸透していきました。
これが日本にもともとあった「さつき忌み」という行事と結びついたものが、日本の端午の節句の原型といわれています。
「さつき忌み」という行事は、田植えの際に早乙女(きよらかな若い女性)が心身を清める行事です。
いまは「こどもの日」「男の子の節句」という印象が強い「端午の節句」ですが、当時はさまざまな意味や養生のための知恵が重ねられた行事であったことが伺えます。
この季節の具体的な養生のポイントとしては、「夏バテ対策(これから季節的に暑くなる)」「食中毒の危険」「梅雨」「田植えに備える(多忙期の前に)」というところでしょうか。
旧暦ではこの季節は梅雨の時期にあたります。
「梅雨入り」による外湿の影響による体調変化は見逃せません。
また、「五月晴れ」は、もともと6月(陰暦の5月)の梅雨の合間の晴れ間をさす言葉でした。
昼は気温が上がり暑邪の影響、朝・晩は冷え込み、逆に寒邪の影響が懸念されます。
日本の梅雨はとにかく湿度が高いことが特徴です。
外湿の影響により、内湿が盛んになると、湿気が苦手な脾の作用が低下します。
当時の風習、この季節の飲食を調べておりますと、「健脾化湿」のワードが浮上いたします。
古来の人たちが、田畑の世話が忙しくなる季節の前に、養生に工夫をこらしていたことが読み取れるのではないでしょうか。
【文責 金澤 秀光】
筆者がブログ「鍼灸医学の懐」で手掛けている著者・原南陽の「叢桂亭医事小言 巻之二」<傷寒>でも、五節句本来の意味合いが語られています。
節句の行事は、疫病をはじめとする様々な災いを避けようとする当時の人々の思いが込められたものだったのですね。
当時の人々が行っていたこれら行事は、現代人の目には迷信のように映るかもしれません。
内経医学においては、病は鬼神によるものでは無いことを前提に説かれた医学であると筆者は理解しています。
このあたりのことは、「鍼灸医学の懐」<素問・移精變氣論篇第十三>に目を通していただければ、おおよそのことは理解していただけるのではないかと思います。
ただ我々があえて『四季と人体』というテーマを取り上げ、語りたいことのひとつに、当時の人々が自然と関わるそのまなざしです。
自然観はすなわち、人体観であるからです。
内経医学で説かれていることをしっかりと理解し、臨床で用いるにはこの自然観・人体観が軸となります。
当時の人々の生活と意識は、人間を取り巻く様々な目に見えるもの・見えないものとのつながりを肌感覚で感じながらのものであったであろうと想像しています。
我々現代人は、科学的な認識手段を手に入れています。
またこの医学においても、中医学という論理性の高い認識手段を手にしています。
それらを学ぶ過程で、論理ではとらえることのできない大切なことを、知らず知らずに手離してしまっているのかもしれません。
いや、忘れ去っているのかもしれません。
そのような思いを抱きつつ、古代の人々の思いや大切な感性を自らの中に再発見しながら本来の人間性を取り戻し、臨床に役立てていこうとする試みでもあります。
12月6日 鍼道 一の会 基礎医学講座 リモート講義
『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。
ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。
『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで
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