我々が内経医学に触れる際には、当時の人の目に世界がどのように映っていたのだろうと思いを馳せながら学び進めるのが、個人的意見ですが順当であるように思います。
古代人は自然の移ろいに寄り添うように生きていました。
自然界に逆らっては、生きていけなかったのですね。
それは素問・四気調神大論や生気通天論などに如実に記述されています。
漢字が成立したのは、およそ3300年前と言われていますが、漢文学者である白川静は、「漢字はもともとその時代の社会的儀礼・加入儀礼の実際に即して生まれたものであり、そのような生活の場から離れて、観念的に構成されたものではない」とその著書で述べています。 <常用字解 [第二版] 平凡社>
当時の生活は信仰と密接であり自然崇拝的であり、直接目に見えない神霊との関係が色濃く反映されていたように感じています。
科学全盛時代の現代人も、お正月だけではなく折に触れて、神社に参拝しますよね。
どこかでこのような意識感覚を受け継いでいるからだと思うのです。
現代にまで受け継がれてきた祭りや儀礼には、本来の意味合いは忘れられているかもしれないけれど、根底にはその呪詛的効力が今なお有効であると感じています。
『迷信』の、一言では片づけることのできない「なにか」がひっそりと存在しているように思うのです。
五節句もまた、一年の季節の節目には健康に暮らせるようにという願いが込められた呪術的な儀式の一つとして位置づけることができるかと思います。
動画の中にありますように、五節句の内、人日(じんじつ)の節句だけは日にちがゾロ目ではありません。
このことの意味は、七草粥の背景にまで及びます。
さらにこの七草粥から羊羹(ようかん)の由来にまで話が及んでいます。
七草は、春の伸びようとする天の気を受けた地気から生じてるものですから、この伸びようとする気を頂く(身体に取り入れる)ことで季節に寄り添おうとしてたのですね。
栄養学には無い「気」の概念ですね。
自然界に育まれている人間界。
自然界を支配している神=法則は、そのまま人体にも生きているのですね。
このような天人合一思想は、養生学と鍼灸治療学の根幹を成すものです。
この七草を刻む時に七草拍子が唄われるのですが、この中に「唐土の鳥が来る前に」という言葉が出てきます。
この「唐土の鳥」は渡り鳥と解釈すると、現在で言う鳥インフルエンザなのかもしれません。
また七草を刻む時の七草拍子に「亢觜斗張(こうしとちょう)」と唱えられるのですが、これは方角を表すと同時に四神を配して結界を張る意味につながります。
鳥は、様々なものを運んでくるので、風の語源にもなっていたようです。
鍼灸医学でも、風寒・風湿・風熱・風痰など、風に関係した病邪概念がたくさんあります。
鍼灸医学的に大きく分けると、外風・内風という概念があります。
外風とは、自然界の風のこと。
内風とは、人体内部での風のこと。(身体の中にも、風は吹くのですよねぇ~)
外風も内風も、適度な風は変化を起こしますのでなくてはならないものです。(変化の現れとも言えます)
ですが過度になりますと、人を激しく傷害します。
風の無い夏日などは、過ごしにくいですが適度であれば涼しく快適に過ごせます。
ですが台風ともなれば甚大な被害を生じますよね。
人体においても同じですね。
どのように同じなのかは、自然界をよ~く観察すると観えて参ります。
また鳥という文字は風の語源に、そして風はさらに気の語源にもつながっていたようで、川村先生がたくさん調べて語ってくれてます。
さらに、鳥の中でもニワトリは、夜明けを告げる鳥として一般に周知されていますよね。
このニワトリ、夜と昼、幽界と現界の境界を告げる鳥として、なんと神社の鳥居の起源にまで話が及びます。
ここから聖なる場の結界としての鳥居へと変化していったのだそうです。
中国、雲南省山岳民族アカ族が発祥とのことです。
動画の内容は、盛りだくさんです。
楽しみながらご覧くださればと思います。
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