の続きです。
シリーズ最後の投稿になります。
ご覧いただきありがとうございました。
おまけ画像。日本江戸末期。 『安政箇労痢流行記』(安政5年刊行)
(安政:1855年〜1860年。江戸幕府将軍:徳川家定。安政時代は、開国による政治的な混乱、台風や大地震に津波、疫病の流行が次々と続いた。それに伴い衛生の意識も向上、以降、予防についての知識が広がっていくことになる。)
「疫病について その3」
その後に登場したのが、先に述べた呉有性である。
呉有性は、それまでの関係論説を総括すると同時に臨床観察と考察を重ね、『温疫論』を著した。
その中で、温疫の原因は「癘気」という異常な戻る気(特殊な病原体。戻気・雑気・異気・疫気とも称している。)であるとし、それを六淫や時気と明確に区別した。その内容について簡潔にまとめると、以下の通りである。25)26)27)28)
①疫病は「癘気」が引き起こす。
②癘気は物質である。ゆえに薬品による治療が可能である。
③癘気には強烈な伝染性があり、口鼻を通って体内に侵入し、その結果、感染する。
(感染経路に関する記述。経口・経鼻感染することを意味する。)
④癘気に感染後、実際に発症するかは、癘気の量、毒の力、人体の抵抗力による。
⑤大流行するものとそうでないものがある。
⑥癘気によって発症した疫病には、地域的・時間的(四季による盛衰・発症からの時間経過など)に一定の特徴がある。
⑦癘気には様々な種類があり、それが引き起こす病も多種多様である。
⑧人の感染症と、動物の感染症は種類の異なる癘気によって引き起こされる。
⑨天然痘・丹毒なども、実は癘気によるものである。
⑩疫病治療に対する基本原則は「客邪(癘気のこと)早逐を尊ぶ」ことである。
(早急に癘気を取り除くことが大事である)
以上のように、呉有性は当時、癘気(すなわち今でいうウィルスや細菌などの病原微生物)について、その特徴を正確に把握していた。
その上で、過去の治療法ではその時代に流行していた伝染病を治せないとの認識を持ち、それまで古法(傷寒論)に使われていた治療法との比較、分類、考察、治療を重ねた。
それらの内容は、後の温病学の発展の基礎となった。彼は具体的な治療として、それまで辛温解表(温めて発汗させる治療法)が行われていた熱性疾患の患者に対し、「梨汁・蓮根汁・蔗漿(さとうきびの汁)・西瓜などを与え、徹底的な清熱を行なった。」29)
また、「人の虚実を諒かあきらかにし、邪の軽減を度り、病の緩急を察し、邪気の膜原より離るるの多募をはかりて、しかる後薬空しく投げざれば、投薬して大過不及の弊なし」30)との指摘は、現代の医療にも通用するものであるといえる。
【参考文献】
25)吳又可:溫疫論
https://www.theqi.com/cmed/oldbook/book52/index.html (参照 2020-1-22)
26) 呉有性:温疫方論. 上,下巻,1790
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_01099/index.html
(参照2020-1-6)
27)木村照(著):漢方医学からみた小児ウイルス疾患,小児耳 Vol.8,no.2,1987,p24-25
28)傳維康(著),川井正久(訳):中国医学の歴史,東洋学術出版,1997,p448-452
29)木村照(著):漢方医学からみた小児ウイルス疾患,小児耳 Vol.8,no.2,1987,p24-25
コメントを残す