資料画像は、昭和の時代を席巻しました澤田流、「鍼灸治療基礎学」(医道の日本社)からです。
順番に見て行きましょうか。
先ず紫線のところです。
<甲乙経に「禁じて灸すべからず」>
<医学入門に「鍼を禁ず」>
ここは、古人がこの穴所を用いて、大きな失敗をした経験から書いたものであると認識するのが良いと考えてます。
おおよそ禁鍼・禁灸穴とされてるのは、用いて失敗した経験からそのように記されているのであって、経穴として存在している以上、用い方さえしっかりと認識しておれば、恐れずに足りずだと思ってます。
これは、湯液の世界でも同じだと思います。
鍼も経穴も方薬も、すべて兵であって、それを率いる将軍が兵を恐れて用いないのであれば、戦いの結果は自ずと知れるというものです。
ただね、兵の性格や状態をよくわからずに、これを安易に用いることは厳禁ですよね。
兵の性格をよ~く知り抜いて、時宜(じぎ)を心得て用いるのが名将ですよね。
赤線のところに参ります。
膝陽関と腰陽関の関係性が記されてますよね。
経絡学的には、仙骨周囲は足の三陽経すべてが流注してます。
その中心である督脈は、左右の枢ですから左右の気機は足少陽がこれを主ります。
また腰陽関の両傍は、大腸兪ですね。
肺気がここまで下り及んでくるところですね。
つまり天地相交、肺腎が相交するところです。
次に青線です。
寒府・足陽関と、熱府・風門との時空間的な関係が説かれてますよね。
大序穴と足陽明下合穴も時空間的な相関性があります。
これはまた、いずれ稿を改めて書きたいと思います。
ここまで来ると、おおよそ身体全体を捉えた上での膝陽関が見えてこないでしょうか。
たとえば湿熱が下焦で内蘊した腰痛症などで、腰陽関に顕著な圧痛と熱感があったとします。
これ取穴を上に取るか下に取るかですよね。
ここは病理機序に依りますよね。
実証を前提とした例をあげてみます。
湿熱内蘊が、氣逆・気滞によって相対的に上実下虚となり、下焦に湿熱が下って起きているのなら、まず上に取って気を下してから腰陽関・大膓兪の変化を見ればいいですよね。
その上で、いくらか腰陽関・大膓兪が動いたのだけれども、今ひとつすっきりとしないのであれば、陰邪である湿熱を下に引いて降ろせば良いわけです。
その際、陰陵泉に取るのか、足の下合穴に取るのか、
それとも帯脉そのものを動かすために足臨泣に取るのか、
それはその時々の患者の状態によって適時選穴すれば良いわけです。
そしてこの寒府・膝陽関です。
腰は内因としての湿熱、下は外因としての寒湿。
仮にこの両者が、ここ寒府・膝陽関でせめぎ合ってるとすれば、ここに補瀉を加えて腰痛を治すことも可能ですよね、理屈上は。
後はこれらを想定して、実際に用いて確認すれば、針箱の中に寒府・膝陽関が納まることになります。
最後の青線の「壊症」というのは、傷寒論的な壊病のことでしょう。
誤治によって正証を離れてしまったものです。
たとえば太陽表証で、桂枝湯を用いるべきところに麻黄湯を用いて、汗が止まらなくなって少陰病にまで落ちたとか、下すべき証ではないのに下したことによって訳が分からなくなってしまった状態です。
傷寒論では、何の逆(誤治)を行ったのかをまず知り、もう一度証を立て直してこれを治しなさいと記されています。
辨太陽病脉證并治上 16条
太陽病三日、已發汗、若吐、若下、若温鍼、仍不解者、此為壞病、桂枝不中與之也。
觀其脉證、知犯何逆、隨證治之。
<太陽病三日、已に發汗し、若しくは吐し、若しくは下し、若しくは温鍼し、仍(な)お解せざる者は、此れ壞病(えびょう)と為す、桂枝之を與(あた)うるに中(あた)らざるなり。
其の脉證を觀て、何の逆を犯すかを知り、證に隨いて之を治す。>
何の逆をやってしまったのかを知るためには、意図的な鍼をする必要がありますね。
瀉して悪化したのなら、補えば良い訳ですし、
補して悪化したのなら、瀉せば良いですよね。
鍼の妙味は、補瀉にあり。
寒府・膝陽関シリーズはこれまでです。
針箱に、うまく納まりましたでしょうか。
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